News 広島平和集会

 第六十三回金光教広島平和集会が、「あいよかけよで共に生きる-現そう、生命のたいせつさを和賀心から-」をテーマに開催され、約四百人が参加した。【金光教報-天地】

原爆慰霊碑参拝式

 広島市平和公園内の原爆資料館から原爆慰霊碑まで行進した後、原爆慰霊碑参拝式を行った。拝礼の後、小倉邦雄実行委員長(広島・庚午)の先唱で「平和の祈り」を奉唱し、本部の和泉正一布教部長の献花に続いて、参拝者全員で黙とうをささげた。

被爆のどん底から

 広島県民文化センターに場所を移し、はじめにピアノとフルートの音色に乗せて原爆詩の朗読が行われた。続いて、川島キミエさん(広島・広陵)が、被爆体験を次のように語った。

 「昭和二十年八月五日、原爆投下の前日、不思議な夢を見た。実家の格子戸につるをはわせていたのが、ことごとく落ちていたという不吉な夢だった。翌朝、真っ先に思い立ったのは、家の近くで軍務に当たっていた情報部の人たちをお世話するために預かっていたお米のことだった。大事なお米に何かあってはならないと思い、自宅の蔵から防空ごうに運ぼうとした瞬間、ピカッと空が光った。

 最初は朝焼けだと思ったが、次の瞬間、周りの建物が大きな音を立てて崩れた。蔵を出てみると、部屋にいたはずのおばあちゃんと娘が台所まで吹き飛ばされ、棚などの下敷きになっていたので、必死に助け出した。夢によるお知らせのおかげか、蔵に入っていた私は直接的な被害には遭わなかった。負傷していたら、家族を助けることはできなかっただろう。

 原爆の被害もたくさん見た。『川島さん!』と声をかけられても、全身の皮膚がずるずるになった方がだれか分からなかった。被爆した人たちが、家と納屋の狭い間に逃げ込み、うめき声を上げておられた。目を焼かれた母親に抱かれた赤ん坊は、母親のずるむけになったお乳を一生懸命吸っていた。水道口の下に飛び込んだ兵隊さんは、『地獄でも極楽でもええ、ここを出してくれ!』と叫んでいた。太田川を渡し船で渡ると、たくさんの人が浮いて流れていた。あまりにも悲惨な情景が満ち満ちていた」

 続いて、来賓の秋葉忠利広島市長が登壇し、次のようにあいさつした。

 「ヒロシマは、人類最初の被爆体験を原点に、核兵器の廃絶と世界平和の実現を訴えつづけている。しかし、世界各地で憎しみと暴力、報復の連鎖が断ち切れないまま、今なお地球上には膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速するなど、人類は滅亡の危機に瀕している。世界を動かし、人類の未来を決定するのは、この地球に生きる一人ひとりである。そうした意味で、金光教による『一食を捧げるチャリティー』や『平和の折り鶴』などの長年にわたる活動は、世界平和の実現に貢献するものと心強く受けとめている。原爆や戦争の犠牲となられた方々への慰霊と平和への願いを込めた広島平和集会が、今年も開催されることは意義深く、不断の努力と取り組みに敬意を表したい」

原爆死没者慰霊祭

 第二部は、小林亙師(岡山・西大寺)を祭主に、教区内の各教会連合会から選出された八人の教師によって、原爆死没者慰霊祭が仕えられた。

 祭典では、「原爆死没者霊前拝詞」を奏上後、岡島由実さん(広島・安芸吉田)、桑野ひかるさん(広島・庚午)が「献水」を行った。

 祭主は祭詞で、原爆による犠牲者のみたま様の慰霊と、核兵器がもたらす惨状を次世代に語りつづけることを誓い、「六十三年間、積み重ねられてきた平和への意志と行動を風化させることなく、死没者ご霊神様方のお道立てと広島市民県民並びに総氏子の身の上をお守り、お導きください。教祖金光大神様が願われた人類の助かり、世界真の平和達成のご神願を現していけるよう、真一心に祈り、できるところから心一筋に実現させてください」との願いを述べた。

 続いて、和泉布教部長が壇上に進み、「長年にわたって取り組んでこられた平和活動や社会活動は、いずれも世と人の助かりを願っての信心実践であり、これから先も、世の難儀な人々が何を求めているのかに耳を澄ませ、自分には何ができるのかを問うことで、よりいっそう人々のお役に立たせていただけると信じます。教祖金光大神様、歴代金光様をはじめ、多くのお道の先輩方が積み重ねてこられた『世と人が助かる道』を、ますます踏み広げ、自らも人々のお役に立てるありがたさを喜んでお礼申せるよう、元気な心で努めさせていただきたい」との教務総長あいさつを代読した。

合 唱

 第三部では、濱本真規子さん(広島・鯉城)指揮のもと、金光教学院生、福山合唱団、福山赤坂合唱団、三原教会合唱団、ちどり声歌隊(山口・由宇)、山口県中部教会連合会合唱団、ひろしま合唱団、少年少女合唱団が、越智淳子さん(広島・御幸)のピアノ演奏と、高橋晶子さん(岡山・岡山)のフルート演奏に合わせて、「世界の命=広島の心」「いつも何度でも」「折り鶴」「グリーン・グリーン」を披露し、最後は合唱団と会場が一つになって「広島平和の歌」を歌った。

 閉会に当たって小倉実行委員長は、「朗読された『一本の鉛筆』は、三十四年前の昭和四十九年八月、第一回広島平和音楽祭ではじめて、歌手の美空ひばりさんが『世界に平和への思いを発信したい』との一心で歌われたもの。この歌には、『一人でも、この一本の鉛筆だけでも、反戦を訴えることができる』というメッセージが込められている。そのような気持ちを持ち、集会で感じたことを、身近なところから伝えてほしい」と呼びかけた。

News Update:2008/08/26


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