読む信心-皆に喜ばれる選択とは

 短大を卒業し、保育士として保育園で働き出した私が、年末に金光教本部に一年のお礼参拝をした時のことです。【金光新聞】

 保育園では、先輩の二人の保育士と一緒に、約20人の2、3歳児のお世話をしていました。新米保育士として、ここまでなんとか仕事に使ってもらってきたお礼を、当時、お結界でお取次くださっていた四代金光様に申し上げると、次のようにお話しくださいました。

 「子どものお世話をしているように思っているじゃろうが、子どもがおってこそお世話ができさせてもらうんじゃから、子どものお世話になっているということを忘れんように、お礼申して、お世話をさせて頂きましょうなあ」

 その心温まるお言葉に、「よし、来年も頑張るぞ」という気持ちが、新鮮な感動となって、胸の奥からわき上がってきました。

 その一方で、私には内心、気になっていることがありました。それは、金光教の教師を養成する金光教学院への入学のことでした。両親は、口にこそ出しませんでしたが、私の学院入学に願いを懸けていることを、私は心のどこかでいつも意識していました。

 この時、私は思いがけず、「金光様、学院に入らせて頂こうか、どうしようかという思いがありますが…」と、口に出していたのです。

 その時、金光様は次のように、懇切にみ教えくださいました。「自分一人が良ければいいのではなく、みんなに喜んでもらえることをさせてもらいましょう。また、今までいろんな人のお世話になっていることを忘れんことです。あんたと私が会えるのも、教祖様がいて、父や母がいて、こうして会えているということでしょう。先のことは分からん。今、お礼を土台にして生きることが大切です」。

 私はお結界を下がると、金光様のお言葉を頭の中で反すうしながら、教祖様の奥城(おくつき)に参拝しました。

 「金光様は私に何をお伝えくださったのか」と、私なりにいろいろと考えているうちに、思い切って学院に行かせてもらおうと、心が定まっていったのです。その心境の変化は、自分でも不思議というほかありませんでした。

 年が明けて早々、私は保育園の園長に学院入学の願いを話しました。職場に迷惑を掛けることでもあり、もし園長が難色を示されたら、再度の時節を待とうと考えながら、話をしたのです。

 すると園長は、「あなたのような神仏への志を持った人が、この園にいてくれたことをうれしく思う。また、ご縁があればいつでも戻っていらっしゃい」と言って、退職の願いを快く受け入れてくださったのです。実はこの保育園は、あるお寺が経営していて、園長はそのお寺の住職でもあったのです。

 私は三月末で保育園を退職し、その年の5月から学院での修行生活に入りました。入学に先立って父からは、「親の願いのためではなく、神様が何を喜ばれるかを考えてほしい。お道のご用とは、そういうものだ」と言われました。

 それから二十数年がたった今日、神様に喜んでもらえるようなことがどれほどできてきたのかと自らに問いながら、教会でのご用にお使い頂いています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。


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読む信心-Update:2008/09/24

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