読む信心-母想いわが信心顧みる

 徳男さん(75)は、長年農業に従事し、その勤勉実直な人柄から地域での責任ある役目を任せられたり、ボランティア活動でも頼りにされています。【金光新聞】


 母親の代から金光教にご縁を得てきましたが、昨年の冬からは、毎日の朝参りを始めました。それは、地域の人から頼りにされることで、知らず知らずのうちに慢心が頭をもたげていたことに気付き、「このままではいけない」と思ったからでした。

 この思いの元には、小さいころに目にしてきた母親・ウメさんの信心の姿がありました。小柄で体の弱かったウメさんでしたが、どんなに野良仕事で疲れ切っていても、教会への参拝を欠かさず、徒歩で片道30分の距離を毎日参拝して、「今日も一日、体を使わせて頂き、仕事をさせてもらえました。家族も仕事がうまくいき、みんなが元気で仲むつまじく過ごせました」と、お礼のご祈念をし、教会の先生の教えを聞いては、自らの心に喜びを育てていきました。

 義父母は当初、ウメさんが教会に参拝することを快く思っていませんでした。しかし、次第に家庭内が円満になっていくことを実感するようになると、喜んで送り出してくれるようになり、やがて、ウメさんから、その日の教えを聞くのを楽しみにするまでになりました。

 「金光様の広前に行き、ただ手を合わせて拝むだけでいい。毎日続けていると、必ず物事が良い方に向かうから」
 幼い時からこう聞かされ、徳男さんは参拝のけいこを続けていましたが、成人し一家を構えてからは仕事の都合などもあり、子どものころ母親に連れられて参拝した時のようにはできなくなっていったのです。
 そうした中で、慢心への気付きから、母が教えてくれた日参の大切さを思い出し、七十代半ばにして心機一転のつもりで教会への朝参拝を始めたのです。

 朝参拝を続けているうちに、徳男さんは今まで当たり前に思っていたことが、次第にありがたいと思えるようになっていきました。

 「日々の暮らしの中の一つ一つがスムーズに、無理なくできることは、まさに神様のおかげ」。そう思えるようになるに従って、日常生活の中の何げないことにも、神様のお働きを感じるようになりました。

 ある時、徳男さんがお風呂に入ろうとすると、飼っていた猫が脱衣場までついてきて動きません。お風呂から出て、布団に入っても離れず、じっと見詰めていました。不思議に思った徳男さんですが、実はこの夜、酔ったまま、お風呂に入っていたことを思い出し、「猫を通して神様が見守ってくださっている」という思いが込み上げてきたのです。

 徳男さんは、こうした猫の何げない行動にもありがたさを感じるようになっていく中で、母親が「ただお参りして、手を合わせて拝めば良い」と繰り返し言っていた中身を、この年になってじわじわと感じています。

 徳男さんは毎日、食事時などに、朝参拝で聴いた先生の話をさり気なく家族に話すようにしていますが、なかなか母親のようにはいきません。それでも願いを持ち続けたいと思っています。

 「家族をはじめ、周囲の人に、じわっと水が染み入るがごとくに、お参りのありがたさを伝えていきたい」。徳男さんは母の姿を思い起こしながら、そう願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。


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読む信心-Update:2008/08/21

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