読む信心-不安の中での自宅介護

 私の母は、脳梗塞(こうそく)で倒れて以来、認知症の症状が出始め、台所にある物を見境なく口に入れるなど、目が離せなくなっていきました。【金光新聞】


 金光教教師である私(31)は妻と共に、教会ご用のほかに、夫婦で地域や学校の役にも就いており、小学生になったばかりの長男と二人の保育園児を抱えながら、母の身の回りの世話をする毎日が続く中で、次第に疲れ果てていきました。

 ご用と介護と育児を並立させることの大変さは覚悟していたものの、現実は想像をはるかに超えたもので、そうした日々の繰り返しにストレスが重なり、母に対して言わなくてもよい愚痴を言ってみたり、子どもたちに当たったりと、後から「何であんなことを言ってしまったんだろう」と、自責の念に駆られることも多くなりました。

 そのことで心身をさらに消耗させ、このままでは夫婦どちらかが倒れてしまうのではないかという不安が脳裏をよぎるようになりました。

 そんなある日、母が脳梗塞を再発して入院しました。一命は取り留めたものの、右半身不随という後遺症と共に認知症がひどくなり、言語障害までも起こってきました。病院の先生からは、この状況下での自宅介護は無理だということで、老人保健施設を紹介されました。

 私は、母を家に連れて帰りたいという思いと、小さい子どもを育てながら、症状が悪化している母の介護が果たしてできるだろうかという不安のはざまで、悩み苦しみました。
 また、自宅介護には妻の協力が不可欠で、妻はそれを受け入れてくれるのだろうかと、いろいろな思いが頭の中を巡り、決断できずにいたのです。

 私は思い切って、妻に病院の先生から老人保健施設を紹介されたことを伝え、どうすればいいか決心がつかないと話しました。

 すると妻は、「連れて帰るのは当たり前やないの。家に連れて帰らなかったら、一体どこへ行くの」と、きっぱりと言ってくれたのです。予想外の言葉に、驚きとうれしさが込み上げてきました。その一方で、以前のように介護疲れでストレスがたまり、互いを責め合う日々に戻るかもしれないという不安を抱いたことも確かでした。

 退院を間近に控えたある日、私は妻に、「神様は、決して無駄事はしないと思うよ。神様にお願いしながら、一つ一つを大切にさせて頂こう」と話しました。妻は、「今まで、お母さんに助けてもらった分、今度はお母さんのために、家族が一つ心になってお世話をさせて頂こうと思う」と言い、子どもたちに向かっても、「おばあちゃんは今、病気と闘っているから、元気になるように、みんなで協力してね」と頼みました。

 それからは、長男が弟たちの面倒をよく見てくれるようになったり、家の中の手伝いを子どもたちなりに一生懸命してくれるようになりました。その姿に、私たち夫婦はどれほど勇気づけられたことでしょう。

 そうした日々の中、母は亡くなりました。

 あれから五年。あの介護に追われた苦しい日々を振り返ると、母がその身をもって、私たち夫婦と子どもたちを育て、家族のきずなを強くしてくれた大切な時間だったと、今では思えるのです。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。


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読む信心-Update:2008/07/23

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