読む信心-円満の道繋ぐ母の信心

 私は、26歳の時に隣県の教会に養子に入り、今日までご用にお使い頂いています。2年前の春、私が生まれ育った教会で、母の二十五年祭が仕えられました。【金光新聞】

 その折、実家の教会長である兄から、「祭典後に話をしてほしい」と頼まれ、私は母について何を話そうかとあれこれ考える中で、あることに思いが至りました。

 そこで、次のように話をさせてもらいました。
 「今日は母の年祭ですが、母の導きを受けられた方々にとりましても、信心の親の年祭でありましょう。
 私は毎年、こちらの教会に年賀のあいさつにお参りさせてもらいます。その日、夕食をごちそうになる前のひととき、兄と一緒に台所で一服のお茶を頂いていますと、兄の孫の里美ちゃん(4歳、兄の長男夫婦の子)が、兄のところに甘えた感じで寄ってきました。その時、兄はうれしそうに、私にこう言いました。
『私な、いつもこの子に教えられてんねん。この子にな、里美ちゃんはおじいちゃんの宝物や、と言うと、おじいちゃんだけの宝物と違うやろ、みんなの宝物やろ、と言われんねん。また、私がな、うちの教会と言うと、うちの教会と違うやろ、みんなの教会やろと言われんねん』と。

 兄は、目を細めて本当にうれしそうに話しました。
 私は、この時は何も思わなかったのですが、帰路に就いた車中で兄の幸せそうな顔を思い起こし、ふと心に浮かんだことがありました。

 それは、もし兄夫婦と長男夫婦の関係が円満にいっていなかったなら、兄が『里美ちゃんはおじいちゃんの宝物や』と言ったとしても、この子は『おじいちゃんだけの宝物と違うやろ、みんなの宝物やろ』とは言わないだろう、と思ったのです。

 また、仮にそう言ったとしても、兄はその言葉を素直に受け取ることができただろうかと。ましてや、うれしそうに私にそのことを話すことはなかったに違いありません。

 ですから、満面に笑みをたたえて孫のことを話す兄の姿を、私は決して当たり前だとは思えなかったのです。

 そこには、日ごろから長男夫婦との関係を築く努力があるに違いなく、さらには亡き母が生前伝え続けた信心の姿が現れていると、つくづく思ったのです。

 私がこの場で、いくら母のことを偉大な信心をしていたとお話ししてみても、その後を受けた兄夫婦、長男夫婦、孫という関係が助かっていないものであったならば、それは少しもありがたいことにはならないと思います。

 母が生前、信心による生き方を暮らしの中で示し教えてくれたおかげで、今こうして家族が仲良く暮らすおかげを頂いていると思います。その事実にあらためて気付かせてもらい、それを伝えさせて頂くことが、母をしのぶこととなり、また、母への一番のお礼ではないかと思うのです」

 以上が私の話ですが、兄夫婦から聞いた話によると、母は信心のなかった家から兄のもとに嫁いだ義姉を、わが子のようにかわいがり、慣れない教会での生活に戸惑う義姉をいつも陰で支え、励ましてくれていたそうです。

 金光教祖のみ教えに、「信心は家内に不和のなきがもとなり」とありますが、家族が仲むつまじいことに勝るおかげはないと思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。


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読む信心-Update:2008/06/12

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