読む信心-膝の傷はおかげの証し

 左膝(ひざ)にある3センチほどの傷あとを見るたびに、井坂孝行さん( 51)の心には、「両親は私のことを心配して、苦労してくれたんだな」という思いがよぎります。【金光新聞】


 その傷は今から50年前にできたものです。

 孝行さんは生後一年半が過ぎ、つかまり立ちの時期を迎えても、なかなか足が立たず、自分で歩こうとしませんでした。最初は気にしていなかった両親も、次第に「おかしい」と感じるようになり、教会にお届けをして、病院で診察を受けてみることにしたのです。

 医師の診断は、「股(こ)関節脱臼で、将来、普通に歩くことは難しい」というものでした。驚いた両親は、「何とか普通に歩けるように」と教会で願い、同時に、近隣から遠方まで十カ所以上の病院を訪ね歩きましたが、どこも同じような診断でした。当時の医療技術では有効な治療が難しかったのでしょう。

 そんなある日、ついに「治るかどうか分かりませんが、できる限りの治療をしてみましょう」と言ってくれる医師に、たどり着いたのです。

 すぐに、腰から膝下まで覆うギプスをすることになりました。石こうを使って全体を固めた大変重いものでしたが、孝行さんにはまったく記憶がありません。当時のことは、後年になって母親から事あるたびに聞かされて知ったことです。

 孝行さんの母親は、「これで歩けるようになるのなら」という思いで、重いギプスをした幼いわが子を抱え、約1年半の間、バスと電車を乗り継いで1時間かけて通院してくれたのでした。

 そして、いよいよ待ち望んだギプスの取れる日がやってきました。看護師さんがギプスをはさみで切っていきましたが、膝の辺りを通った時に、誤って歯先が皮膚まで届いてしまったのです。その時に負った傷が、今も孝行さんの左膝に残る小さな傷あとでした。

 孝行さんの母親はギプスが取れた後も、リハビリやマッサージのために、孝行さんを抱えながら通院を続けました。

 やがて孝行さんが幼稚園に入園するころには、医師も驚くほどの回復を見せ、普通に歩けるようになりました。そして、小学校ではリレーの選手に選ばれるまでになったのです。

 すっかり健康体になったわが子に、母親は、「不安で苦しいこともあったけど、あきらめずに神様にお願いしていたら、治療してくださるという病院が見つかり、本当にうれしかった」「治療がうまくいって、ギプスが取れる時が一番うれしかったけど、看護師さんの不手際で、あんたの膝に傷ができた時は腹が立ったわ」と、当時の様子を繰り返し話し、それが孝行さんの心に、神様のおかげ、親の慈愛として刻まれていったのです。

 現在、両親の信心を受け継ぐ孝行さんは、母親のように、神様から受けたおかげを子どもに伝える大切さを感じています。

 金光四神(しじん)様は、「初めにおかげを頂いたことを一代忘れずにおりさえすれば、出世繁盛はさせてやる」と教えてくださっています。

 生きていると、先のことばかりに心をとらわれ、これまで受けてきたおかげの喜びを忘れてしまうことがあります。孝行さんは左膝の傷を見るたび、そのことを思い、「親の祈りと愛があればこその今であり、親への感謝を忘れることのないように、神様が膝の傷を残してくださったに違いない」と思うのです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。


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読む信心-Update:2008/07/04

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