新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息をご祈念申し上げます。そして、新型コロナウイルス感染症に立ち向かわれている医療従事者の皆さまに感謝申し上げます。

2002年度 公開講座 こんこうセミナー

 金光教東京センターは10月5日、金光教センタービルで、こんこうセミナーを開催し、30人が参加した。
 今年は、筑波大学名誉教授・荒木美智雄氏を講師に、「現代社会の危機と宗教―金光大神出現と意味についてー」をテーマに7月から4回にわたって開講されるもの。第3回目の今回は、「教祖の宗教体験」と題し、話が進められた。


 講師は、「創唱(そうしょう)宗教は、教祖の宗教経験に基づいて立てられた宗教という意味を持ち、宗教経験は神様の体験であり、出来事である。金光教祖をみても、自分から教祖になるといってなったわけではなく、なんで私はこういう体験をするんだろうかという受け止め直しの中で、宗教経験を深めていかれ、神様と対話という独特の宗教経験のあり方が生まれてきた」と語り、『金光大神御覚書』『お知らせ事覚帳』について、世界の宗教史上類を見ない「宗教的自叙伝」として高く評価し、教祖自身が自分の言葉で、自分の宗教経験について書かれたもので、この2著が力の源泉であり、知識の源泉、意味の源泉と指摘。「金光教祖の中にあった葛藤が伺わせられる。教祖の生涯を一つの芸術作品とすると、芸術作品の完成であるといえる。すべての教祖は、伝統とその時代の社会とを取次いで、仲介する。古い社会と新しい時代の間に立っていろんな媒介になるわけである。大切なのは、宗教とか信仰という形で、無理なく受け止められるというのも創唱宗教の特長、力のあり方だと思います。金光教祖は自分の信心の立脚点の独自性を飾らない言葉で表現されている。お知らせ事覚帳で展開してくる自分の宗教体験の深まりをさらに書いて行くということで、さらに深まって行くわけである。宗教経験がどう伝えられたか、後々の者がどう人に伝えようとしたか。重要な課題になってくる」と語った。