生まれてきてよかった
あけましておめでとうございます。今年も金光教東京センターから皆様方へメッセージを発信いたします。日々の生活の中で、少しでもお役に立てればと願っています。
私は宗教教誨師として、毎月ある少年施設へ出向しています。現在は新型コロナウイルスの影響で出向く回数が少なくなっていますが、収容少年たちは個人面接を楽しみにしているように見えます。守秘義務があるので詳細を話すことはできませんが、少年の多くが様々な家庭環境の問題を抱えています。幼い時から暴力を受けていたり、存在を否定されてきたりして、自分の安心できる居場所が見つからずに犯罪に手を染めてしまうケースが多いのです。自己肯定観が低い彼らは面接時間中に自分の思いを途切れることなく話し続けます。私は話を聴かせていただくという姿勢を大切にしながら向き合っています。彼らとの出会いは神様がお働き下さってのご縁だと考えていますので、面接の終了時間が近づくと私は彼らにいつも決まった言葉を伝えます。それは、「○○君、あなたが大切なものを見つけられように祈っているよ。生まれてきてよかったと思える生き方ができるといいね」というフレーズです。彼らはニコッと微笑んで「ありがとうございます」と返答します。私は心の底から彼らが「生まれてきてよかった」と言えるようになることを望んでいます。
与えられてある
いま脱炭素社会に向けて様々な取り組みが広がっております。再生可能エネルギーや電気自動車をはじめ、テレビニュースやコマーシャルなどを視ていると、次々と新しい技術が紹介されていて、何か近い将来、あっという間に困難を乗り越えられそうな気にさせられたりもします。
確かに新しい技術によって、前進することはたくさんあるでしょう。しかしどうしてもそれだけで済むのだろうかという気もします。どこまでいってもその新しい技術を使うのは人です。その人がどのようにその技術を使うのかということがあるからです。
ある技術が改善されて二酸化炭素の排出量が減るとしても、その技術が普及してコストが下がり、その利便性からよりたくさん利用されるようになれば、結局、現実的にはほとんどその効果が消えてしまうということもあり得るでしょう。それを使う私たちがどんな価値観をもっているのかを考えなければいけないことなのではないでしょうか。
相手を想う心
新型コロナウイルスの感染が広まって2回目の秋を迎えました。あれ以来、外出や人との接触を控えることが多くなり、それまで以上に私たちの生活にオンラインでの会話やインターネットを使った買い物が欠かせないものとなりました。そうした生活は慣れれば便利な面も多く、感染が終息した後も以前のような生活には戻れないだろうとも言われています。
近年の通信環境の発展はめざましく、インターネットやスマートフォンの発達により、私たちは便利で快適な生活を送ることが出来るようになりました。スマートフォンが1台あれば、誰もが世界中と繋(つな)がり、買い物も情報のやりとりも出来るようになりました。