読む信心-ご用通し育まれた信心

 「あなたは、開教以来今日まで40年の長きにわたり、あつい信仰心をもって信徒総代、責任役員として教会諸活動に取り組まれ、神と人あいよかけよの世界実現に奉仕されたご労苦に対し、衷心より敬意を表し、深甚なる感謝をささげます」【金光新聞】



 これは、教会の布教四十年の記念式典で、教会長の私が、峰村隆夫さん(72)に贈った感謝状の内容です。

 四十年前、私(当時28)は、故郷から遠く離れた見ず知らずの地で、単身、布教を始めました。右も左も分からない土地でしたが、ちょっとしたご縁から、繁華街にある建物の2階部分を借りることができました。

 わずか10畳ほどのフロアに、6畳の広前と4畳の居間を設け、布教所としました。階下には設計事務所が入っており、広前にはそこを通って上がらなければなりませんでした。

 そこへ、峰村隆夫さん(当時32)が参拝してきたのです。隆夫さんは、大手電機メーカーに勤務するサラリーマンで、隣町の金光教会にご縁を得ていましたが、仕事が多忙なため、その合間を見つけて、時折参拝するのがやっとでした。「近くに教会があればもっと参拝ができるのに」と熱願していたところ、新たに布教所ができることを知り、隆夫さんの喜びはひとしおでした。

 広前に上がり、まだ若い私を見て、隆夫さんの信仰心はかき立てられました。「この先生と金光大神の信心を求め、広めたい」。そうした思いが、ふつふつと込み上げてきたと、当時を懐かしみます。

 私と隆夫さんは、年が近かったこともあり、ある意味ではお道の同志のような感情で結ばれ、共に金光教を世に伝え広めていく使命感に満ちていました。

 時には、布教への思いが強いが故に、隆夫さんは「このままではいけない!」と、私に厳しい意見を投げ掛けることもありました。

 そうして四十年の歳月が過ぎました。

 この間、教会境内地の購入、さらには教会建物を新築することもでき、誰にもはばかることなく大きな声でご祈念することも、少年少女の育成をはじめ、諸活動にも、心置きなく取り組めるようになったのです。

 そこには、34歳の若さで信徒総代を引き受け、少しずつ増えていく信徒の力をまとめ、信心上のお世話にも心を砕き、連合会活動にも積極的に参加してきた、隆夫さんの祈りとご用がありました。

 当時の隆夫さん家族について、小学生だった長男の伸幸君は、「僕は、日曜日になるとお弁当を持って教会に行きます」と作文に書いたほど、教会のことが生活の大きな部分を占めていたのです。

 また、結婚を機に隆夫さんと共に参拝を始めた妻の直子さんは、三人の子どもを育てながら夫婦二人三脚で信心を進め、典楽や婦人部のまとめ役として、活躍してきました。

 峰村さん夫婦の信心は、教会の四十年の歴史と共にあって、ご用を通してはぐくまれてきたといえます。

 「信心の本当にありがたいことは、どんな困難なことが起きてきても、それを乗り切っていく力を頂けること」と、笑顔で語る隆夫さん。老齢期に入った今もなお、一人でも多くの方に、この道の信心を伝えて、喜びを分かち合いたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

読む信心-Update:2008/10/24

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