新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息をご祈念申し上げます。そして、新型コロナウイルス感染症に立ち向かわれている医療従事者の皆さまに感謝申し上げます。

第30回 金光教東京平和集会

開催テーマ 「どこまでも真の平和を求めて」
日時:2012年7月15日
場所:金光教館
内容:講演「平和(戦争)への分岐点。歴史に学ぶ」保阪正康氏、歴代センター所長によるパネルディスカッション、子どものひろば


 金光教東京センターは7月15日、金光教館イーストホールで、「どこまでも真の平和を求めて」をテーマに第30回金光教東京平和集会を開催し、200人が参加した。
 同集会は、現代社会の「平和」ならざる状況の克服を目指し、平和を願う人々が一堂に会して、学習、情報交換、社会アピール、祈りを共にするとともに、新たな活動を生み出すことを願いに開催され、本年は、第3 0 回を迎えるところから、平和への祈りの結集と、平和にかかわる社会動向を押さえながら、東京平和集会の歩みを総括し、ここまでの成果と課題を整理するとともに、ここからの方向性を展望した。
 「祈りのつどい」では、平和合唱団によるコーラスの調べの中、献灯、献水と続き、戦争や紛争で犠牲となった御霊様方のお道立てを願い、黙祷を捧げた。そして、「平和の尊さを未来に語り継ぎ、現教主金光様の、『世界の平和と 人類の助かりの お役に立たせていただきたい』とのみ祈りを、わが祈りとして、どこまでも真の平和を求めていくことを誓います」と、「平和への誓い」が奉読され、参加者全員で「平和の祈り」を奉唱した。
 続いて、記念講演として、保阪正康氏(ノンフィクション作家)が「平和(戦争)への分岐点。歴史に学ぶ」と題して講演が行われた。
 パネルディスカッションでは、「本教に願われる平和活動とは ―これまでを振り返り、ここからを展望する―」をテーマに、東京センターの歴代所長が登壇。
 まず初代所長であった川上功績先生から「第一回金光教東京平和集会開催の経緯と願い」について話があり、「昭和55年の教規改正によって、これまでの管理体制から社会に布教していく教団へと布教体制化がはかられ、昭和56年に東京布教センターという教団の組織が設置された。
 この教規改正によって、教団の機関として自由に活動ができるようになったことが、何よりもありがたかった。戦時中にに犯した教団の罪を、教団の機関としてどうつぐなっていくのか、教団の組織として平和集会をおこす責任があると思った。そして、これまで広島や長崎で連合会や信奉者が自主的にやっていた平和集会を、東京で行うことによって、点を面で繋ぎ、金光教の活動として、平和ということを全教に広めていきたいというのが、東京平和集会開催の大きな願いであった。
 広島、長崎は被爆体験が平和の原点であり、平和活動の主体的な原点は被爆そのものである。東京で開催する平和集会の原点は、国民が共有する戦災体験を原点として、一人ひとりの心に平和の砦を築こう、をテーマに掲げ、戦争体験を風化させず、平和の尊さを後世に伝える責任を持たなければならないことから、戦没者の声を聞き続けること、そしてその体験を語り伝えていくこと、生き方の中に平和の心を育てることを第一として、原爆や戦争体験など、戦争にかかわる問題をシンポジウムや映画鑑賞の方法をもって開催した」。
 続いて、二代所長であった藤原務正先生は、「今日戦争に至る人種差別や貧困、経済格差、環境破壊の問題などを取り上げ、その中で私たちがどうお役に立っていったらいいのかを課題化した。
 そして、青少年に対する平和教育、それから私たちの生活意識の改革にも携わっていくことが必要であることからひろば形式を導入した。
 また、平和に取り組む人たちを増やしていきたいということから、平和のイメージ絵やメッセージを募集したピースメールを立ち上げたり、平和行進、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑での儀式も行った。共通の祈りの言葉として「平和の祈り」や鎮魂歌「友よ御霊よ」が作られ、今日まで続いている」。
 浅野善雄先生は、「神前拝詞の最後に、『総氏子身上安全世界真の平和のご神願 成就せしめたまえと願いまつる』と私たちは日々お唱えさせていただいている。まさに世界人類の身の上の安全と世界真の平和を祈願させて頂いている。祈りによって実践を促され、そのひとつの大切な活動として平和集会を継続させて頂いた。
 人間が人を助ける働きをもった神の氏子として生まれた限り、その命を安全に人生を全うできる社会を築いていくことが、金光教の信奉者としての使命であり、神様はそのことを願われている。
 構造的な暴力、生命、人権、差別など、平和ならざる命を脅かす問題をテーマに、4年のサイクルでテーマを絞ったり、通年的に平和を考えていくことも大切であることから、三回に分けて開催したこともあった。また、新たに社会活動部門を設けて、平和集会、ボランティア活動の位置づけもさせて頂いた」。
 小柴宣和先生は、「宗教は平和を絶えず求め、どうあれば平和であり続けられるのかを宗教教団や教師は考えていくべきだという思いで今日まで来ている。前所長の出来なかった事を進めさせてもらいたいという思いが強くあり、特に政治に関わる問題をダイレクトに扱わせてもらいたいと、改憲問題について取り組んだ。
 また、子どもとお母さんがわかりやすく平和の問題を考えられるような平和度チックシートを作らせてもらう作業にも取り組み、現所長の時に完成した。
 毎年少しずつ変化し展開していくような平和集会であって欲しい願っている。同時に、みなさんの心の中に今年の平和集会でこういうことを学んだ、ということが生まれてくると意味の集会になると思う」と、各所長時代に心掛けた、平和集会へ向けての願いや新たな取り組み等について話が出された。
 そして、今後の東京平和集会に対する提言、平和に向けた教団の課題等については、「戦争責任の取り方はどうあるべきかを教団の中で明らかにしていくこと」「平和集会や平和祈願祭は本来は本部が行うべきもの。教団主催の儀式を本部で開催したい」「『平和の祈り』をみんなで唱え、その中身を掘り下げていく」「青少年育成の観点から、平和祈願祭に合わせて少年少女全国大会を開催する」「平和問題と教義について恒常的に議論する場を設ける」「祈りと共に実践していくということは、信仰実践としての平和実践である」「毎年、平和宣言のようなものを採択して、社会にアピールしていくようなアクションを起こすべきではないか。東京はそういう役割を担っているのではないか」といった意見が各パネリストが出された。
 また、子どものひろばでは13人が参加し、昭和館(東京都千代田区)に移動。子どもたちは、館内の映像や展示物、写真、体験コーナーなどを通して、昭和の戦中・戦後の暮らしを楽しく学んだ。