二十一世紀という新たな世紀を迎えるとともに、本教は、教団独立百年の歴史を経て新たな時代を歩み始め、「金光教宣言」を表明し、ご神願成就に向けたさまざまな取り組みを進めています。
今日の時代社会をあらためて見渡すと、科学技術のめざましい進歩は、豊かで、快適な生活を私たちにもたらしましたが、その一方で、地球規模での環境破壊や、南北問題といわれる経済格差、さらには民族的な対立による武力紛争など、生命や人権を脅かす幾多の問題を引き起こしています。
また、インターネットなどの情報技術の発達によって、容易に世界中のさまざまな情報に接することができるようになった反面、人間同士の実際のつながりは希薄となり、現実の一人ひとりのいのちの営みは分断され、孤立化の度を深めてきています。
わが国にあっては、高度経済成長を経て、物質的には豊かになりましたが、近年の長期化する経済不況にあって、企業の倒産や雇用不安が広がるなか、とりわけ、青少年による人命を軽視した悲惨な犯罪が、次々と引き起こされることに象徴されるように、人心の荒廃には深刻なものがあり、生命の尊厳性の希薄化が、顕著に認められます。 そして人々は、行く末が見通せないという将来に対する不安を抱え、さらには、自分はなぜ生きているのかという自己の存在の意味や生きがいが見いだせないといった問題に出あっています。
このような諸問題を本教信仰からみれば、その根底には、大いなる天地・神から離れた人間中心、自己中心的なあり方が潜んでいる、と言えるのであり、その解決は、神と人との本来的関係が回復されることによってのみ可能である、と言わざるを得ません。世界・人類の救済を願いとする本教としては、二十一世紀にあって、このような人類的な課題に対し、「神と人とあいよかけよで立ち行く」という本教独自の信仰思想を基に、本教人の生き方と使命を明らかにし、実践していくことが、本教信奉者の課題である、と考えます。
すべての人間は、等しく、神の分けみたまを与えられて、天地の間に生かされている神の子です。そして、神と人間とは、「人間あっての神、神あっての人間」という関係にあり、神と人とあいよかけよで立ち行くあり方こそ、真実に助かる生き方なのです。
神の子としての人間は、天地のいのちにつながる者同士として、神と人との関係を基本としつつ、人と人との関係においても、お互いのいのちを尊び合い、共に助かっていくあり方を求めていかなければなりません。私たち信奉者は、そのことを身をもって現し、世界の人々に伝えていくことが大切であります。
教団では、昭和五十八年の『金光教教典』刊行後、教義究明の営みを続けるなかで、世界・人類の救済に向けられた金光大神様の信心の全体像が明らかになってきました。平成元年に発足した「よい話をしていく運動」では、わが心の神にめざめ、天地のいのちにつながる者同士として、一人ひとりの人間を大切にし合い、われひと共に助かる生き方を求めました。そして、「よい話をしていく運動」を展開していくなかで、人を助け、世のお役に立つという、神の願いを強く意識した信心のあり方が、全教的に自覚されるとともに、行動にも現されていきました。
さらに、平成十年教規によって、本教は、神と人とあいよかけよで立ち行くあり方を世界に現していく、とのご神願成就を目的とするものであり、信奉者は、そのご神願成就の担い手として、「わが心の神にめざめ、人を助けて神になる信心を進め、連帯して教団および教会の活動を担い、展開するものである」と押さえられました。
そこで、二十一世紀の人類的課題を視野に入れつつ、今日まで培われてきた信仰内容をふまえ、祈り、対話、行動をもって、神を現す生活を、新たな信心運動として実践していくことを願いとして、このたび「あいよかけよの生活運動」を発足いたしました。
「祈りをもって神を現す」「対話をもって神を現す」「行動をもって神を現す」ということのそれぞれが、共に助かる世界を生みだすための大切な信仰実践です。どこから始めてもかまいません。各教会で実践目標を立てて取り組んでいきたいと存じます。
全教信奉者が、「あいよかけよの生活運動」に取り組むなかで、一人ひとりの信心をいっそう深め、教会をはじめ教団各面の活動をさらに展開させて、神と人、人と人とが共に助かる世界を生みだすおかげをこうむらせていただきたい、と存じます。
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