●信心ライブ
 「ふっと浮かんできたことば」


金光教放送センター



(ナレ)おはようございます。
 今日は、高知県・金光教須崎(すさき)教会の教師、竹内貴志(たけうちたかし)さんが、平成25年、金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
 竹内さんは、金光教が発行する金光新聞の編集員として、取材や原稿作成のお仕事をされています。

(音源)自分が担当している、その書かなければいけないその原稿をですね、原稿の4本から5本ほど同時にその時かかえておりました。まあ4本から5本というのは、決して少なくないんですが、そんな別に珍しいことではありませんで、よくあることなんですね。その時もですね、わあ大変だなという思いもありながら、まあこれまでのように、締め切りには遅れずに、丁寧に一つひとつ書かしてもらおうと。同時に二つも三つも書き上げてしまうような器用なことも、またそれだけの能力も私にはありませんので、一本一本、本当に丁寧に、仕上げさせて頂こうという、そういうつもりで御用させていただこうと思っておりました。ところがですね、いざ始めてみますと、思うようにはかどってくれないんです。
 今日中に書き上げることができますように、少しでも進めることができますように、とお願いしながら、毎日御用させていただいておったんですが、まあはかどらないんですね。一本すら仕上げることができないまま、段々段々と時間が経ちまして、前向きな気持ちでお願いをするということはもう、ほとんどできなくなっておりましてですね、たまらない気持ちをひたすらお願いというよりはもう神様にぶつけるような、お願いにもなっていなかったようなものかもしれませんが、そういう形でお願い、御祈念しておりました。
 ずっとそういうたまらないような気持ちのまま、頭を下げて御祈念しておりましたら、ふっとある言葉が私の頭の中に浮かんで参りました。教会長である父の言葉です。その父が必ず言ってくれる「御祈念しとるからな」という一言がふっと頭の中に浮かんできたんです。「御祈念しとるからな、お願いしとるからな」という普段言ってくれるその言葉がふっと頭をよぎってですね、その瞬間に、その言葉の主である父の顔はもちろんなんですけども、それと同時にいろんな人の顔が私の中に駆け巡っていきまして、何か自分に近しい立場にいる人たちの顔が次々と思い出されてきてですね、父親だけでなく、その浮かんだ顔みんながですね、自分のことを祈ってくれてるんだろうなというふうに思えたんです。
 でそうしましたらですね、次の瞬間には、不思議なことに、さっきまですごくたまらない気持ちで御祈念しておった、そのたまらない気持ちが、すごくすーと楽になってきまして、「よし、今日がんばってみようか」という、そういう前向きな気持ちがこうふつふつと自分の中から湧き上がってきたんです。
 祈られている、願われているとか、そういう実感をですね、得たからといって、急に私の能力が上がったとか、そういうことではありません。あいかわらず原稿はたまっておりますし、何も問題、といいますか状況は変わっていないんですが、その祈られているということを実感させていただいた時に、唯一私の心が変わったんですね、その時に。それまでも職場に行っても、「ああ、果たして今日、終えることができるだろうか」というような、ずっと心配をひきずったままのような気持ちで、御用させていただいておったのが、その日は「よし、頑張ろう」と。「この記事を書き上げさせていただこう」と、何か本当に自分でも驚くほど前向きな気持ちにならさせていただいておりました。状況は何も変わっていない、しかし、自分のこの心が変わったことでですね、そこから驚くほど仕事がはかどりはじめまして、本当に自分でも最初は想像もしなかったような良い形で、一本一本書き上げる、仕上げることができたんです。
 今、私が生活とか御用の上で、これまでと同じように、「ああ困ったな」と、何か問題、課題に直面した時にですね、まあまず最初は、あいかわらず、「大変やなあ、困ったなあ」というふうに思うんですが、これまではズルズルとその「困った。大変だ」という気持ちに引っ張られていたのが、「困ったなあ、大変だなあ」と思ったその次の瞬間に、「いや待てよ」と。これは、祈られている、父を始め、父や皆さん、教主金光様が自分を祈ってくれている、願ってくれている、そういう祈りの中での出来事だと、気持ちの切り替えができるようになってきました。まあ切り替えといっても、ほんとうに鮮やかに切り替えられるわけではないんですけれども、ただこうたまらない、悪循環の方に落ちていきそうになる気持ちをですね、ぐっとそこで踏みとどまって、そこから問題なり課題なり、そこに取り組むために、自分が一歩踏み出す勇気を与えてくれているのが、私の今の祈りの自覚、実感であります。
 祈られている、祈ってもらっている、でそのことがありがたいとそう相手に思ってもらえるようなですね、そういう祈りを私自身がこれからまたしていかなければいけないんだろうということです。で、これまではですね、本当に自分のことをお願いするので精一杯で、せいぜいそれはあと家族のところまでがまあ本当にぎりぎり精一杯というようなところでした。
 でも、これから、自分のことはもちろんお願いさしていただかなければいけないんですけれども、家族、でまた友人、知人、私自身の祈りの世界というか、祈りの輪をですね、これから少しずつ少しずつ広げていかなければいけないと。そういう課題が今自分に与えられているんだろうなあと思いますし、また人を祈れるようになるという、そういったことも父の祈りの中には含まれているんじゃないかなと、そういうふうに思わさせていただいております。手を合わせて、頭を下げて、自分のことプラス、自分と関わりのある多くの人のことを祈っていく、またその祈ることができるということは本当に大切なことだなあと思わさしていただきます。

(ナレ)いかがでしたか。
 「自分はみんなから祈られている」
 そのことを実感した時、一人で苦しみ、行き詰まっていたところから、心を落ち着け、前向きに取り組んでいく勇気が生まれてきました。互いに神様に祈り合うことを大切にしていきたいものです。

 


 

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