●ピックアップ
 「あれ、できるようになったよ」


金光教阪急塚口教会
古瀬真一



「お父さんなんか、大嫌い!」
 そう言い残して、小学3年生になったばかりの上の娘は、部屋を飛び出していきました。妹に意地悪を言ったことがきっかけで、姉妹ゲンカに発展。見かねた私が妻より先に、口を出してしまった時のことでした。ケンカしたことをとがめていたはずが、つい勉強のことにまで話が及んでしまったのです。「しまった。余計なことを言ってしまった…」と思っても後の祭り。私の仕事場はわが家にあるので、子どもの一挙手一投足が目に付いてしまいます。
 「ケンカをするのも成長のひとコマだ」と、頭では分かっているつもりでも、姉妹で怒鳴り合ったり、手を出したりするのを目の当たりにすると不安にかられ、恥ずかしながら、思わずこちらまで大きな声を出してしまうのです。「こんなにケンカばかりしていて大丈夫だろうか…」「仲のいい姉妹に成長するだろうか…」「勉強していても、妹がお姉ちゃんに絡むから、お姉ちゃんは勉強に集中できないな…」「成績優秀でなくてもいいが、人並みの成績でないと、これから困るだろうな…」というように、一つの事をきっかけに、次々と気になることが膨らんでしまいます。
 そんなことが続いていたある晩、パジャマに着替えた上の娘が、何とも言えない悲しげな表情で、「学校でイジメられてるねん。明日、行きたくない」と、私に話し掛けてきました。聞けば、娘の顔のそばかすのようなアザを見た同級生から、「『それは何? キモイ!』って言われた」とのこと。娘は、大変なショックを受けながらも、「そんなことは言わんといてほしい」と、何とか自分の思いを伝えることができたということでした。学校では借りてきた猫のようにおとなしくしている娘が、自分の気持ちをハッキリと伝えることができたこと、また、一人対多数ではなく、特定の友達との出来事だったことが分かり、私は少しホッとしました。と同時に、「もしかすると、妹との度々のケンカは、学校でのモヤモヤを妹にぶつけて発散させているのかもしれない」という思いが湧いてきました。
 私は、学校での出来事も、妹をはけ口にするような家での振る舞いも、どちらもとても気になりましたが、適切な対応が思い浮かびません。思い付くままに口にした、「顔のことは、お前のチャームポイントなんだから、気にしなくていいんだよ」という言葉も、娘の心には響きません。そうなると、私まで、娘に意地悪を言った同級生を恨めしく思う気持ちが起こってきて、いよいよ言葉に詰まってしまいました。「無理に励ましても、どうにかなるものでもない。それに、娘の同級生を責めるような思いに駆られる自分も情けない」と感じた私は、「一緒に神様にお願いしよう」と声を掛けました。わが家では、毎朝毎晩家族それぞれが、必ず神様に手を合わせます。その日一日、健康で人や物事に恵まれ、都合良くいくようお願いし、夜休む前には、一日を無事に終えることができたお礼を申し上げるのです。この日の夜は、娘と並んで神様にお祈りしました。
 すると、こんな思いが私の心に浮かんできました。「意地悪を言う子も娘と同様。何かつらい思いを抱えているのかもしれない。そして、そのつらい思いを娘にぶつけているのではないか」と。そこで私は、「意地悪する子も、もしかしたら、つらいことや寂しいことがあるのかもしれないよ。だからその子のつらい気持ちがなくなりますようにってお願いしよう」と言いました。けれども娘は、「意地悪な子のことなんか、私はお願いできへん」と言って、ショげています。「じゃあ、お願いできる私にならせてくださいっていうお願いならできるかな?」と尋ねると、「やってみる」という答えが返ってきました。
 翌朝、学校を休みたいと訴えるのではないかと案じていた私は、いつもと変わらない様子で登校する後ろ姿を見送りながら、胸をなでおろしました。
 それからも時々、同じ子からアザのことを言われていたようで、「お父さん、まだあの子のことをお願いできへんねん。でも、お願いできるような自分になりたいねん」と、口にしていました。
 縁あって席を並べ、ぶつかり合いながら互いに成長していく娘や同級生たち。だから、「親の私が、娘のことを祈るというからには、同時に、同級生や先生のことも合わせて祈っていくことが必要なのである」と私は常々思っていました。ただ、そのことを小学3年生の娘に求めたのは、少し酷だったかもしれないと、いつも心に掛かっていたのでした。そんな私は、「あの子のことをお願いできるようになりたい」という娘の言葉に、あがきにも似た娘の努力を見せ付けられました。あれからずっと、自分のことだけでなく、人の幸せを祈ること、しかも、自分にとって、都合の悪い相手の幸せを祈るという、葛藤に満ちた困難なテーマに、娘は取り組み続けていたのです。そして、その取り組みに応えるかのように、神様の後押しを頂いたのでした。
 夏休みが近付く頃、くつろいで新聞を読んでいた私に、娘が声を掛けてきました。何だかとても気分が良さそうです。イキイキと明るい表情をしています。「あれ、できるようになったよ」「あれって何?」「あの子のことをお願いすることやんか。お父さん、忘れたん?」と詰め寄られて思い出す私。「そうか! 良かったなあ。よう頑張ったなあ。もう、意地悪は言われへんのんか?」と尋ねたら、「うん、仲いい友達やねんで」と、うれしそうに答えてくれました。そういえば、姉妹で仲良く遊んでいることが多くなってきました。大きな壁を一つ乗り越え、また一歩成長した証でしょう。
 親の私も、以前は、わが子を愛し、大切に思うがあまり、目の前の出来事に捕らわれてしまいやすかったように思います。今にして思えば、顔のアザを巡っての友達との出来事は、親と子が、人として成長していくための一つの課題であったのかもしれません。友達とのこと、勉強のこと、そして、姉妹たちとのこと、お手伝いや部屋の片付けなど生活に関わること…。気になることは次々に起きてきますが、その不安は神様に預け、関わりのある人たちの幸せを祈りながら、親も子も、共に成長していきたいと願っています。


 


 


 

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