●かんべむさしの金光教案内U 第2回

金光教放送センター


 おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」。先週は、私が金光教の優しくて穏やかな雰囲気とか、こちらの抱えてる問題の解決や成就を神様に祈ってもらえる「取次」ということに魅力を感じたお話をいたしました。そこで今朝は、その金光教の教祖様や神様について、紹介させていただきます。
 金光教は江戸時代の終わり頃に、備中大谷、今の岡山県浅口市金光町で生まれた宗教です。農村地帯ですから教祖様、失礼して「教祖さん」と呼ばせてもらいますが、その教祖さんも、元は農業をしておられた方です。
 子どもの頃から、神社に参ったりするのが好きだったそうで、正直で温和で真面目に働くので、村の人たちからも信用されてました。
 しかし、子どもを2人、3人と亡くしたり、農家にとっては家族同然の飼ってる牛が2頭も死んだり、おまけに自分も大病をしたり、難儀なことが次から次へと起きてきました。
 もちろん、それらについては医者を頼み、神仏に願い、人から勧められることも実行しましたが、当時のことですから、その勧められることというのは、やれ「方角を見よ」とか、「日柄を調べろ」とか、「厄除けをしろ」とか、今の感覚で言えば迷信が多かったんですね。
 でも、そういったことは、神様から見れば、人間の身勝手な、無意味な、気休めにすぎないのだということを、教祖さんは自分の大病をきっかけに、神様から、直接教えてもらえだしました。その要点を言いますと、
 例えば病気を治してほしいのなら、「どうぞ治してください」と、なぜ神に素直に願ってこないのか。人間のことだから、罪なこと無礼なこともするだろうけど、それも素直にわびてくれば、すぐに許してやるのに。
 日々、生きさせてもらってることにお礼を言い、悪かったと思うことにはおわびをして、そしてその上で、どんなことでも願ってくれば、解決や成就に向けて、神が引っ張っていってやるのに…。
 とまあ、そういう思いを、神様から伝えてもらえるようになったわけで、これは教祖さんの神様を敬う心が、それだけ強くて、本物だったからでしょう。

 そして、その神様というのが、金光教では「天地金乃神」と称されております、天地源の神様です。形が無くて姿も見えないけど、天地…つまりこの宇宙に満ち渡っておられるという、大きな神様です。
 その神様から、「人間あっての神、神あっての人間。どちらが欠けても、両方が立ち行かないのだ」という、神と人との本来の関係を、皆に教えてやってくれと頼まれた。
 神は人間が生まれる時、タマシイ、みたまを分け与えてやっており、それが人間の本体である。肉体の親は両親だが、本体の親は神なのだ。その親である神の子ども…つまり人間ですね…人間に対する、より良く生きてほしいという思いや願いを人に伝え、また人の悩みや願いをそちらからも神に伝えて、解決や成就を祈ってやってくれ。そしてそれによって、この神の人に対する働き掛けを助けてくれと、そう告げられた。
 それが「取次」ということで、教祖さんは最初は農業をしながら、後には農業をやめて、それに専念されるようになりました。その結果、多くの人が助かり、ご自分の信心も進んで、最終的には「生神金光大神」、大きな神と書いて大神ですが、そういう名前を神様から与えられたんです。
 ただしこの生神は、「生神様〜!」という、その生神ではなく、信心のレベルを高められた結果、ここに新たに神が生まれたのだという、そういう意味が込められた生神で、だから教祖さんは信者たちに、皆さんも信心を進めればそうなれますよと教えておられます。

 で、これらの教えやエピソードは、一見ローカルな、世俗的な、民間宗教のようですが、時代性とか地方色を消して本質を抜き出せば、いつの時代にも、どこの国でも通用するものだと、私は思いました。
 つまり、この宇宙を成り立たせてる大いなる存在があり、それを人間は神と称してる。そして、その大いなる存在から言われて、その意思を人々に伝え出した人がいた…とまあ、そういう構造なんですから、これは古今東西、多くの宗教に共通している本質でしょう。
 そして私は、その構造や本質の具体例として、穏やかで優しい雰囲気の金光教に、言葉は不適当かもしれませんが、「相性が良さそうだなあ」と、そう感じたわけです。

 ですから私は皆さんに、「金光教でなければならん」と押し付ける気は全くありません。もし、人生の道筋で宗教が必要になってきたら、皆さんそれぞれが、本質を押さえていて、同時に相性の良い、そんな宗教を探されたらいいと、そう思ってるんです。
 というところで、時間が来ました。来週は、さっき申しました「取次」について、具体例なども交えて、お話をさせていただきます。ありがとうございました。

 


 

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