●かんべむさしの金光教案内U 第1回

金光教放送センター


 おはようございます。かんべむさしと申します。職業は作家でございまして、日本文藝家協会と日本SF作家クラブの会員になっております。年代としては、「団塊世代」の一員で、40代の後半から大阪市内にあります金光教玉水(たまみず)教会という、明治時代からある教会に通わせてもらっております。
 そんなわけで、今朝から週1回で4週にわたって、お話をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。
 で、今40代の後半からと申しましたが、それまでの私は、本当に平均的な日本人で、宗教には何の関係もない人間でした。ただし、若い時代から本を読むのは好きでしたし、気が弱くて心配症という、常に不安を抱えてるような性格ですから、その解決を求めていろんな本を読んだりはしてました。
 その中の1冊に、漫画家のサトウサンペイさんが書かれた、『ドタンバの神頼み』という本がありまして、これで私は、初めて金光教という宗教を知ったんですね。
 そして40代に入ってから、出版業界が長期不況に陥ったり、親族間でトラブルが続いたり、公私共にいろんな問題に見舞われだして、心が疲れ果てるという状態になりました。その結果、サトウサンペイさんの『ドタンバの神頼み』を改めて読み直して、そこで紹介されてた金光教玉水教会へ通わせてもらうことになったんです。
 ですから私は、金光教という宗教に人生の途中から入った人間です。

 でも、途中から入ったにせよ、もう20何年通ってる計算になりますから、「そしたらあなたは、熱心な信者さんなんですね」と言われるかもしれませんが、実は私は、あんまり熱心な信者ではありませんし、良い信者でもありません。これは別に謙遜して言ってるわけではなく、本当にそうなんです。
 というのが、もともと理屈っぽい性格でもありますので、どんなことでも、考えて確かめて、自分なりに納得してから、ようやく受け入れる人間なんですね。
 そして作家という仕事柄、世の中の常識とか、それこそ「平均的な日本人」の価値観というものも、常に自分の中に持っていなければならない。また、例えば金光教で教えてる神様なら神様についても、作家としては、「これを、宗教を敬遠したり、警戒心を抱いてる世間一般の人に、どう説明したら、理解や納得をしてもらえるかな」と考えることも、いわば仕事上の癖になってる。
 だからその分、信者としては理屈が多すぎてなかなか先へ進まないという、そういう意味で、あんまり良くない信者なんです。その代わり、自分で納得できてないことは言いませんから、その点は信用してください。

 さて、そんな理屈っぽい私が、金光教に魅力を感じて、教会へ通わせてもらうようになったのは、まずこの宗教が、優しくて穏やかで、間口の広い宗教だと感じたからです。
 例えば、他の宗教を否定せず、共存共栄を良しとしてますし、教団として、特定の政治的な立場は取らないことになってますから、その面で干渉されることもありません。
 また、寄付や献金の強制がありません。教会にさい銭箱は置いてありますし、「お供え」という慣習もありますが、出そうと出すまいと全く自由です。信心を続けるかどうかも自由で、本人の自覚に任されてます。その意味では、まあ、さっぱりした宗教です。
 そして何よりも、「取次(とりつぎ)」ということをしてもらえます。取次というのは、教会の先生が、私なら私の悩み事や願い事を聞いてくださって、その解決や成就を神様に祈ってくださる。そして、それについての神様の思いや願いも教えてくださることですが、これが私にとっては一番の魅力要素だったんですね。
 身勝手な言い方になりますが、自分にとって、「非常に都合のいい宗教だな」と、そう思いました。実際、40代後半のその時には、トラブル続きで困ってたんですからね。

 そして、こういった特長や、優しくて穏やかな雰囲気などは、教祖様以来の伝統として伝わっていることです。金光教は江戸時代の終わり頃、備中大谷、今の岡山県浅口市金光町で始まった宗教でして、教祖様…私としては、「様」と言うより「さん」と言わせていただきたいのですが、その教祖さんは、元は農業をしておられた方です。
 さっき言いました取次も、その教祖さんが神様からの指示に従って始められたことで、金光教の教典にはその具体例がたくさん載ってますが、それらも本当に親しみやすくて安心のできる雰囲気です。そして、その教祖さんが教えておられる神様もまた、優しくて穏やかな神様なんです。
 というところで、時間が来たようです。来週は、今申しました教祖様や神様について、もう少し詳しく紹介させていただこうと思います。どうもありがとうございました。

 


 

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