●「神様の歯車」

金光教放送センター



 今日も数え切れないほど多くの人たちが、同じような人たちが、同じような時刻に目を覚まし、同じような服装に身を固め、決まった時刻の電車に乗って、職場職場へと流れていきます。
 「自分は会社という大きな機械の、いつでも取り替えられる1つの歯車に過ぎない。しかも自宅と職場を行ったり来たり、毎日同じことの繰り返し。自分の人生って、いったい何なのだろう?」。通勤電車に揺られながら、ふとこんな疑問を胸に抱く人も多いでしょう。
 静岡県に住む野崎弥生(のざきやよい)さんが23歳で会社を辞め、今の仕事を始めたのも、そんな思いからでした。彼女が始めた新しい仕事は、お母さんが経営している和紙の店を手伝うことでした。会社で働いた経験を生かせば、店の経営も充実させていけるに違いないと、弥生さんはかなり自信をもっていました。確かに数か月後、乱雑だった在庫の管理や伝票の整理などは、随分改善されました。しかし、肝心の売り上げはなかなか伸びていきません。また自分の経営方針と親の意見が食い違い、この仕事にもすぐに行き詰まりを感じるようになったのです。これがきっかけとなって、弥生さんは、幼い頃から何度もお参りしたことのある金光教の教会に、毎朝続けて参拝するようになりました。
 金光教の教会では、先生に神様へのお礼や願い事などをお話ししますと、先生が神様の教えに基づき、人間としての真実の生き方を、その人その人の問題に即してお教えくださいます。人の願いを神様に、そして神様のお心を人に伝えるこの働きを、「お取次」といいます。
 弥生さんは、早速先生にお取次をお願いしました。親を説得する方法や、売り上げを伸ばす方法を教えてくださると期待していたのです。ところが先生は、「何事もお礼の心でさせていただきなさい。一日何回ありがとうと言えるか、やってごらん」と仰ったのです。彼女はがっかりしましたが、他にどうすることもできず、その日から教えられたとおりにやってみることにしたのでした。
 最初のうち、何かにつけて「ありがとう」と言ってはみるものの、ちっともありがたくはありませんでした。けれども、朝参りの時、先生から信心のお話を聞かせていただくうち、これまで自分の力でやったのだと当たり前のように思っていたことも、神様のお働きがあってこそできたことなのだと、しみじみ分かってきました。すると、お客さんはもちろん、商品や店にも心を込めてお礼が言えるようになったのです。
 その後、ある日のお取次で、彼女の心は大きく転換することになりました。それは、「私は神様に、『売り上げが伸びますように』と、いつもお願いしていますが、これは欲張りなお願いではないでしょうか」とお伺いした時のことです。「欲は捨てなくてもよい。神様に心を向けて商売していたら、君の願いが自分勝手なものか、神様の願いに沿うものなのかは、神様が決めて下さるよ」という先生の言葉に、弥生さんはハッとしました。「これまでこちらから一方的に願うばかりだったけれど、神様にも願いがおありなんだなあ」と気付かされたからです。
 それからというもの、神様は私に何を願ってくださっているのだろうと、これまでとは全く逆の方向から何事も考えてみるようになりました。すると、親は私に何を願っているだろうかと考える心の余裕も生まれ、これまで店のことでよく口げんかをしていたのがうそのように、ぶつかり合うことがなくなってきたのです。
 商売の上でも、どうすれば買ってくれるかということより、お客さんは何を望んでいるのかをまず考えるようになりました。そして、少しでも喜んでいただきたいという気持ちから、月に1回、無料で和紙の手芸教室を開きました。教室には毎回10数人の人が楽しみにしてきてくださるようになり、この人たちの口コミでお客さんも次第に増えていきました。
 このようにして彼女の取り組みは、店の経営充実にも自然とつながってきたのでした。
 弥生さんは今、26歳。店の仕事をしながら、ふと3年前会社を辞めた時のことを思い出すことがあります。考えてみると、結局今の仕事も、毎日同じことの繰り返しです。また自分が1つの歯車として動いていることにも、全く変わりがありません。
 けれども今、彼女の顔は仕事の喜びに生き生きと輝いています。それは、お取次を通して心が神様に向かうようになったからに違いありません。
 「会社にいる時は、私がやるんだ、私でなければと、いつも我を張って仕事をしていました。だから、他の人でもできるんだと気付いた時、自分自身を見失ってしまったのだと思います。でも今は、神様が店の主人だと思い、『あなた様の願いに沿わせてください。そして人々のお役に立たせてください』と願っていますから、神様が歯車として使ってくだされば、それがうれしいんです」と弥生さんはこのように話します。
 今日多くの職場では、仕事に手応えを感じ、そこから生きがいを見いだすことが大変難しくなっている現状があります。ある人は仕事がつまらないからと趣味に生きがいを見いだそうとし、ある人は仕事はお金をもうける手段にすぎないと割り切っています。
 しかし、人や会社に使われているという意識を超え、神様の願いに応えようと積極的に仕事に取り組む時、組織とか会社とかの枠を超えて、私たちは直接世の中の人々と向き合うことができます。仕事が生きがいとなる可能性も、そんな取り組み方にこそ開けてくるのです。
 「神様が私を使ってくださる! それがうれしいのです」という野崎弥生さんの言葉は、ともすれば自分自身を見失いがちになる私たちに、1つの道しるべを与えてくれているといえるでしょう。

 


 

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