●「あの時、布団の中で」

金光教曽根教会
島谷一久



 これは私が小学2年生の時の話です。
 ある日、母が仕事の都合で帰りが夜遅くなり、私は、母が帰ってくるまで寝ずに待つことにしました。
 これは、「お母さんが帰ってきたらウワッと布団から飛び出して、『おかえり!』と大きな声を出して驚かしてやろう」という子どもながらのいたずら心からのもので、眠たい目をこすりこすりしながら、幼い私はその時を待ちました。

 しばらくして、いつものように母のスクーターが家の前で止まり、それからガチャガチャと玄関の鍵を開ける音がし、私は急いで布団の中に潜り込んで、母が部屋に入ってくるのを息をひそめて待ちました。
 しかし、待てど暮らせど母は家に上がってきません。外の様子をうかがってみますと、玄関先で何やら話し声がしていました。
 「あなたもこんな遅くまで大変やなあ」
 「はい、何とか頑張ってやらしてもらってます」
 どうやら母は隣に住む親戚のおばさんと立ち話をしているようでした。そして、おばさんの次の言葉に幼い私は息をのんだのです。
 「あなたも主人を亡くして、これから子ども4人を育てるのは大変だと思う。ものは相談だけど、もしよかったら、あの子をウチに引き取らせてくれん? あの子を私の家にもらえない?」
 何とおばさんの言う「あの子」というのは、私のことなのです。
 犬の遠ぼえの聞こえてくる静かな夜のとばり、布団に潜り込み息を殺しながら聞いた予期せぬ言葉に、幼い私はどれほど驚き、不安になったことか。
そんなん嫌や。絶対嫌や」
 私は布団をギュッと握り締め、心の中で叫びました。
 当時の状況を説明しますと、その親戚のおばさんの家の子どもは女の子ばかりで、男の子はおらず。また、私の母は父を突然に亡くし、これから女手一つで4人の子どもを育てなければならないという事情があり、それを心配しての申し出でもありました。
 加えて申しますと、一族経営で商売をしていた家の大黒柱であった私の父が突然亡くなってから、母に対する一族の中での風当たりが日増しに厳しくなり、守ってくれる父もおらず、ただただその状況に必死に耐えるだけの母は、苦しくつらいどん底の状態にあったのです。
 「あの子をウチにもらえない?」という思わぬ大人同士の会話を耳にした私は、ドキドキしながら母の言葉を待ちました。母は次のように言いました。
 「ご心配ありがとうございます。けれど、絶対に子どもは離しません。子ども4人とどんなに苦労しても、みんな一緒に生きていきます。私は離しません」
 丁寧に、はっきり断ってくれました。大きな声でした。
 それから母は家に戻り、子どもたちの寝顔を見に、私たち兄弟が寝ている部屋に入ってきました。そして布団を隔てた向こう側から母のシクシクすすり泣く声が聞こえてきました。母からすれば、寂しくつらい、また悔しい涙であったと思います。
 寝たふりをしていた私としては、もう母を驚かすことはできませず、布団を頭からかぶったままスースーとうその寝息を立てているうちに、そのまま朝まで眠り込んでしまいました。
 そこから私の母は一生懸命信心に励み、いろんな苦労を通って私たち兄弟4人を今日まで育て上げてくれました。今では私たち兄弟4人はそれぞれいい年になって、母は可愛い孫たちにも恵まれています。
 あの日から30年以上の月日が経ちましたが、私自身、これまでうれしいことやつらいこと、いろんなことがありました。その度ごとにあの時布団の中から聞いた、「一緒に生きていきます。私は離しません」と言った母の大きな声と、あの時の泣き声が私の中からよみがえってきて私を励ましてくれるのです。
 今も耳に残っているあの時の声、これが私の生きる元気の源です。
金光教の教祖の教えに、「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな」というものがあります。この「神は切らぬ」という言葉を聞くと、私はあの時の母の姿を思い出します。私が布団の中で聞いた声は、まさしく神様のお心、お声だったに違いありません。
 神様は、日々私たちと一緒に暮らし、苦楽を共にしてくださいます。しかも、私どもが手を合わせて拝むよりも前から神様の方が私たちのことを思い、良くなれ良くなれと先に拝んでくださっていて、懸命にお守りお骨折りくださっているのです。
 その神様のお心は、人間氏子が可愛いという親心であり、「必ずお前を幸せにするぞ。それが親としてのワシの務めじゃ。自分の気持ちが折れてしもうたら、この子が助からん。決して諦めんぞ。決してこの手は離さぬぞ」と、神様が自身に言い聞かして励む、そんな覚悟のこもった必死な親心の声が、「神は切らぬ」という言葉だと私は確信しています。
この神様の切なる願い、神様がぎゅっと固く手を握り引っ張ってくださっていることをよく知って、私は神様に身を委ねて安心し、人事を尽くしていきます。この神様と一緒に真剣にご信心していきます。この手は離しません。
 いまだに耳に残っているあの時布団の中で聞いた母の声。「神は切らぬ」という神様の親心に触れた感動、温もり。これが私の信心の原点です。
 私は、母からこの信心をもらいました。もらって良かったです。

 


 

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