●「左手肘頭骨骨折物語」

金光教船岡山教会
大引明子



私は去年の夏、左手の肘(ひじ)を骨折した。肘の頭の骨と書いて「ちゅうとうこつ」、ちょうど肘の先に当たる。そこがポキンと折れた。事の顛末(てんまつ)はこうである。
 8月半ば、お盆の京都。その混み具合は半端ではない。まして駅は人であふれかえる。私は右手に大荷物、左手に小さな紙袋持って歩いてた。突然、目の前に小さな赤いカバン。子ども用の小さなスーツケースである。「え!」と思う間もなく、カバンに足は引っ掛かり、ドッターン。あわれ、私は左手を下にして地面に突っ伏した。
 「痛っ!」。折れたと思った。周りの人が一斉にこちらを向く。「い、い、痛い」。かっこ悪いし立とうと思うが、動けない。
 数分後、やっと起き上がれたものの、左手はぶらーんとしたまま。上げようとすると痛いの何の。ズキズキでもなくて、ジリジリでもなくて、何とも痛い。ひたすら痛い。見ると、ペッコーン。左肘の先が凹(へこ)んでいるではないか。え、どこ行ったん、ここの骨? 確かあったよなあ。
 「ごめんなさい」
 小さな声が聞こえた。赤いカバンの持ち主、5歳くらいだろうか、可愛い男の子だ。お母さんの後から、カバン後ろに引っ張って歩いてた。持ちにくかったのか、そのカバンが右に寄ったり、左に曲がったり…そして突然私の足元に…まあ、仕方ないか。

 病院でレントゲンを撮ると、肘のだいぶ上、一つだけ他の骨と離れて、ひらひらまるでチョウチョのように浮かんで見えるものがある。「あなたの折ったのは、この骨です」。え、折れてこんなとこまで行ってたのか。先生は、「これからますますこの骨は離れていきますよ。手術して、ボルトでこの骨をつなぎ止めましょう」とおっしゃる。え、我が人生初の手術。しかし、骨折して手術って、よく聞く話だ。今なら20分ほどで手術も済む。たかが…とは思わなかったけれど、何だか軽い気持ちだった。手術は1週間先となった。
 利き手の右手でなくて良かった。足でなくて良かったね。みんなそう言うし、私もそう思う。右手だと包丁も持てない。瓶も開けられない。第一、食べるにも苦労する。足だとそれこそ大事だ。左手だからこそ手術までの1週間、今までどおり暮らしていけると思っていたのだけれど…。
 ところがどっこい、あにはからんや。例えば、包丁は持てる。しかし、左手が押さえててくれないから、ニンジンも玉ねぎもごろごろ転がり逃げてゆく。「あらららら」。ゆでたり炒めたりも、左手でお鍋の取っ手を持てないから、危なっかしくて「怖いわ」。焼くのも炊くのも盛り付けるのも体ごと動かして、それでもうまくいかない。
 「左手骨折しても右手があるさ。手術までの1週間、いつもどおりに暮らせばいいや」と考えていた私のもくろみは見事に外れ、以後はレトルト食品のお世話になることにした。他にも掃除洗濯、全て思いどおりにいかない。

 翌週の手術は無事に終わった。だが、麻酔が切れた後、痛い痛い。こんなに痛いとは。先生は、「骨を触っているから少しは痛いですよ」とおっしゃったが、想定外の痛さ。さらに手術後3日目にはもうリハビリが始まる。これまた痛い。一番痛いのは折れた時のはずだったが、リハビリの方が痛いかも。週に2回もあるし。痛い痛いと言ってたら、ついにリハビリの先生に怒られた。「治りたくないの? 止めてもいいよ。でも治らないよ」。聞けば痛さに挫折する人もいるという。リハビリしたらいとも簡単に治ると思っていたけれど、並大抵のことじゃないのね。「痛い、痛い」と通っているうちに、それでも5カ月が経ち、だんだん左手も動くようになった。そしたら先生が、「まだ手の動きが不十分なのは、腕の中に入れたボルトが邪魔してるかも。手術で抜きましょう」とお
っしゃる。ああ、また手術。
 しかし、次は慣れたのか、それほど痛みを感じることもなく無事終了。ただ中に入っていた10センチほどのボルトには驚いた。こんな大きな太い物で骨をつないでいたのね。
 そしてまたひと月。「まだ骨は完全には出来ていませんが、後は日にち薬です」と先生がおっしゃり、骨折から半年、ようやっと治療は終わった。

 そして今。骨折から1年経った。左の肘を触りながら、私は不思議で仕方ない。あるなあ骨が。1年前ペコンと凹んでしまってた肘の先っぽに、きちんとしっかり骨がある。半年前、まだこの骨は不十分だった。「以後は日にち薬です」と先生が言った。その日にち薬の間に我が骨はすっかり元どおりになったのだ。
 日にち薬とは、関西でよく聞く言葉だけれど、「後は日にちを重ねていくうちに傷は癒え、病は治るでしょう。それが何よりの薬ですよ」という意味。この言葉を聞くと人は、もう治ったような気についついなる。でも私は、日にち薬って神様が働いてくださる時じゃないかなと、この手を見ながらふと思う。お医者でも薬でもなく、神様しか働くことができないその日々を日にち薬というのではないかなと。
 入院10日。手術2回、通院10回。リハビリ33回。お医者様の働きと、つたないながらの自分のリハビリの努力と、そして神様のお働きがあって初めて我が手は回復したのです。

 もう普段は何も気にすることなく使っている左手。これを大切に使わせてもらうのが、これからの私の務めだなあと思うのです。

 


 

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