●「人の身に無駄ごとはない」

金光教芝教会
宇都木員夫



ナレ)おはようございます。パーソナリティの大林誠(おおばやしまこと)です。
 私たちは、思いも掛けない災難に出くわした時、どんなことを考えるでしょうか。「どうしてこんなことになってしまったのか」と原因探しをして嘆き続ける、ということになりがちですよね。
 しかし、今日ご紹介するお話は、それとはちょっと違う考え方を提示してくれています。東京都、芝(しば)教会の宇都木員夫(うつぎかずお)さんのお話で、「人の身に無駄ごとはない」。

 私の奉仕させていただいている金光教芝教会には、専従の教師の他に修行生の方もいて、日々の御用を一緒に勤めています。このお話は、8年前の修行生の身に起きたことです。年齢は当時22歳で、教師になるための金光教学院を卒業したばかりの九州の方でした。
 前任の修行生との引き継ぎも終わり、7月から1人で本格的な御用が始まりました。ところが、1週間を過ぎた頃、突然右目の痛みを訴えました。「眼が痛くて眠れない」と言うのです。すぐに近くの眼科に行かせました。診断の結果、眼球には何の異常も認められないということで、痛み止めをもらって帰ってきました。しかし、翌日の朝も、「痛くて一睡もできませんでした」と言うのです。3日目には「右目が霧がかかった状態で、何も見えません」と言います。再び眼科の診断を受けたところ、すぐに近くの大学病院に紹介状を書くので、全身の精密検査を受けるようにと指示されました。
 大学病院でMRI、血液検査など徹底的に検査をした結果、「多発性硬化症(たはつせいこうかしょう)」という、国が難病指定している病気であることが分かりました。この病気は、自分の免疫機能が自分自身の神経を異物と見なして攻撃するという恐ろしい病気で、右目から脳につながっている神経を免疫機能がボロボロにした結果、右目が見えなくなっているということでした。10万人に1人くらいの確率で発症し、そのままにしておけば10年後には車いすの生活になる可能性もあり、有効な治療法は見付かっていないということでした。検査した医師は、彼にそのことを伝えました。
 22歳の青年が、10年後には車いすの生活になるかも知れない。しかも治療法が確立していないと言われ、相当のショックだったでしょう。この時、提示された治療法は、「血小板交換」というもので、大変強い副作用があり、苦しそうでした。
 大学病院では主治医の先生が、脳、血液、眼の専門医と共にプロジェクトチームを組んで、病院をあげて治療に当たると言ってくださり、難病指定の認可が下りれば医療費を免除されることも分かりました。その代わり、この病気の研究発表に使わせていただきたいということでした。
 彼は相当悩んでいました。一時は、「治らないのであれば、実験的な治療はやめて、金光教本部に戻って、信仰でおかげを頂きたい」。また、「高額な差額ベッド代で親に負担を掛けたくない」と心配していました。
 私は、教会長である妻と共に毎晩病院へ行き、彼と話をしました。彼は治療を決心し、そして、約1週間で右目は少しずつ視力を取り戻して、2カ月で退院できました。
 ところで、なぜこんなことになったのでしょうか? 私は1つの考えに至りました。
 それは、この病気が金光教学院に入る前、または、在学中に発症していたら、彼は金光教の教師になれなかった。次に、卒業して九州の教会で発症していたら、芝教会へ修行に来ることはなかった。では、どうして芝教会に来てわずか数週間で発症したのか?
 私には神様のお計らいとしか思えませんでした。なぜなら、教会から歩いてわずか7分のところにある、この大学病院は、当時多発性硬化症の国内屈指の先端医療の病院だったのです。神様は、教師になったばかりの彼に、この病院の治療を受けさせてやろうとお計らいくださったに違いないと、私は確信したのでした。
 退院した彼は、ぜひ修行を続けさせてほしいと言いました。しかし、退院してもつらいことが待っていました。週に一度、予防のために自分でふとももに注射を打たなければなりません。翌日は大変苦しい副作用があり、ほとんど寝て過ごしていました。また、温かいお風呂は禁物で、体温より少し温かい程度のシャワーしか浴びられません。熱い湯に入ると一気に病状が悪化するというのです。
 そんな中、彼の考えは少しずつ前向きに変わっていきました。「この難病を乗り越え、信者さんの前で、『私はこうしておかげを頂きました』というお話をさせていただきたい。この病気を乗り越えるのが楽しみです」と言いました。私はこの言葉に、彼は必ずこの難病を克服するものと確信しました。
 そして今、彼は結婚をし、子どもにも恵まれ、元気に活躍しています。



(ナレ)いかがでしたか。
 金光教の教祖は、「神様は、人の身の上に決して無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる」と教えています。話し手の宇都木さんも、難病にかかった青年も、病気の原因より、その意味を考えようとしたのですね。「この経験から、何を学び取ればよいのだろうか。これをどう生かしていけばよいのだろうか」と、希望を持って未来を見詰めているわけです。
 私たちの身にも、いつ、どんなことが起こるか分かりませんが、決してうろたえることなく、出来事の意味を深く受け止め、生かしていく目を持ちたいものです。

 


 

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