●「斜視と四歳の誕生日」

金光教御立教会
成田さち子



(ナレ) おはようございます。パーソナリティの大林誠です。
 今日は、兵庫県姫路市、金光教御立(みたち)教会の成田さち子さんによる「斜視と四歳の誕生日」というお話です。成田さんは、子育てに奮闘する中で、ある大切なことに気付かれます。それは何だったのでしょうか。お聴きください。


私は個性豊かな5人の子宝に恵まれました。数年前までは、毎日騒々しくしておりましたが、次々と大人になり、末の子が選挙権を頂く年齢までに成長させていただいております。
 今日はその中で、次男のお話をさせていただきます。
 平成5年の2月、この世に元気な産声を上げました。すくすくと育ち、母乳だけでこんなにも大きくなるのですかと、医師が驚くくらいです。腕や足は立派なボンレスハムのごとく堂々として大物感を漂わせる風貌(ふうぼう)でした。
 歩き始めますと体が少し身軽になりまして、やんちゃに磨きが掛かりました。自宅は金光教の教会で、いつどなたがお参りになられても良いように戸が開け放されていますので、それをいいことに、こっそりと車の通りまで出ていき、何度か親切な方に助けていただくこともありました。さらに、2階の物干し台から、屋根に抜け出て歩いているのを発見した時もあり、その時ばかりは心臓がひっくり返るかと思いました。もう片時も目が離せません。でも天真らんまんで好奇心旺盛なキラキラとした瞳の持ち主で魅力を持った子どもでもありました。
 そんなふうに元気に成長していた次男でしたが、3歳の大みそかのこと。急に片方の瞳が目頭の方にぐぐっと寄っていることに気が付きました。私は昔、病院でお勤めしていたこともあるので、これは脳腫瘍でもできたのかと心配になりました。年が明けて、大きい病院を受診しますと、案の定、医師は、「斜視だね。ただこの年齢で斜視になるのは遅いね。もうすぐ4歳ということなら小児がんも疑うので、すぐに頭部CTを予約して調べましょう」と。私はその言葉に頭がくらくらして、どうやって家に戻ったのか記憶がありません。家族に何と説明したのかも覚えていません。1つ覚えていることは、金光教本部の近くに住んでいる実家の両親に手紙を書いて送ったことです。
 両親は、改まって娘が手紙を送ってきたということは何か大変なことがあったに違いないと感じたそうです。手紙には、「大変な病気かもしれない。4歳のお誕生日を元気に迎えられないかもしれない事態になっているから、お祈りをお願いします」という内容を必死に書いたと思います。両親はこれは一大事と、すぐに金光教本部にお参りしてくれました。そして両親からは、「手紙をご神前にお供えして、祈らせてもらっているからね」と言葉を添えてくれました。
 そして頭のCT検査当日、保育園を早退きして病院に行きました。睡眠剤のシロップを飲ませますと、抱っこしていた次男の体からだんだんと力が抜けていき、私はその時なぜか、「ごめんね…」と目が潤んでしまいました。検査室の方に次男を託し、私は手を合わせて、「金光様、金光様、金光様…」と祈り続けました。
 その後、診察室に呼ばれ、医師の安堵(あんど)の表情と目の前のCT画像を見た時、一瞬で助かったんだと感じました。その画像に映る次男の脳は、白く輝く形の良い、それはそれは美しいものでした。
 診断は遠視による斜視とのこと、医師がうれしそうに説明してくださいました。私も本当に遠視で良かったと感謝しました。
 以前、あのやんちゃな次男が水路の横の道路を怖がってしがみついたことがあり、不思議に思っていましたが、その理由もようやく分かりました。物が2つにダブって見えるので、道路の端が分からなかったのですね。
 こうして発症から約2か月後、4歳のお誕生日を無事に迎えることができました。お誕生日を迎えられるということがどんなに素晴らしく、ありがたいかということを痛感した出来事でした。私は検査の結果がただ単純に小児がんではないことが判明したというだけではなく、あの時神様がピカピカの命を下さったと思わずにはいられませんでした。
 次男の斜視の治療は、手術には適さない症状だったため、眼鏡を使った治療法で通院を重ねました。そして中学に入る頃には、治療を卒業できました。
 私が子どもの頃、金光教本部にお参りすると、先代の教主金光様が度々、「お礼が先じゃ」と教えてくださったのを思い出します。息子の斜視の一件があってから、そのお言葉が改めて胸に染みてくるのです。いろいろな悩みや心配も、命があってのことなんですね。息子が大人になるまで、この他にも様々に困難なことがありましたが、その都度、あの時命を救われての今日だと思い直し、まずはお礼を申させていただいております。



(ナレ) いかがでしたか。
 私も2歳の時に肺炎になったことがあったそうで、「あの時は年末だったから、診てくれるお医者さんが見つからなくて、雪の降る中、あんたを抱いて、町中を探し回った」と、母がよく話しておりました。
 私たちは誰も幼い頃のことを覚えていませんが、親たちはどれほど手間暇かけて育ててくれたことかと思わせられます。
 そして、大きくなってからも、いかに多くの人や物のお世話になっていることか。危ないところを神様に救われながら、気付かずじまいのことも幾度となくあるんだろうと思います。
 目の前の問題に一喜一憂しがちな私たちですが、生きているからこそそれもできるんですね。今ある命のありがたさ、不思議さをかみ締めて、今日一日を大切に過ごさせてもらいましょう。

 


 

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