●「初めての試練」

金光教邑久教会
小林 眞



 3年前のことです。車で1時間ほどのところに嫁いでいる娘の姑(しゅうとめ)さんから、1本の電話が。
 「困ったことが起きました。優(ゆう)さんが入院したんです」
 「え?」
 娘の優が風邪を引いていたのは聞いていましたが、まさか入院とはびっくりです。
 事の次第はこうです。高い熱とせきも続くので近くのクリニックで診察を受けたところ、ただの風邪とのことで薬を飲んでいる。ここまでは聞いていました。ところが、いつまで経っても熱は下がらずせきも出るので、大きな病院で診てもらったところ、マイコプラズマ肺炎にかかっていて、それも重症化しているので即入院ということになったのです。
 娘には2人の男の子がいます。当時、上の子は幼稚園に通っていたので大丈夫なのですが、下の子は2歳になったばかり。ですので誰かが面倒を見なくてはいけないのですが、娘の主人も、すぐ向かいに住んでいる舅(しゅうと)、姑もみんな勤めがあり、おまけにちょうど3人共忙しくて休むわけにはいかないというのです。我が家なら安心して孫を預けられると思ったのでしょう。その根拠は、孫はバアバが大好きなこと。そして料理はバアバだけでなく、ジイジである私も少しはできること。おまけにジイジはいつも家…と言っても金光教の教会ですが、勤めには行ってないので面倒を見てもらえると踏んだのでしょう。
 夜はたぶん、バアバがうまく寝かし付けてくれるはずですが、朝は私一人になることが心配です。バアバは、週に5日、午前中はいないのです。それと、もっと大きな不安材料もありました。孫はこちらの言ってることは理解できても、まだうまく話ができないことです。でも、そんなことは言ってはいられません。孫の面倒を見ることができるのは、我が家しかないのですから。
 結局、孫はお父さんが勤めから帰ったらすぐに連れてくることになりました。そして、別れができなくなるといけないので、我が家でバアバと対面して大喜びしている隙に隠れるようにして帰る、という打ち合わせ通り、お父さんはトンボ返りで帰ってしまいました。そんなことなどつゆ知らず、孫はすぐに大好きなチャーハンを自分で食べ、バアバと一緒にお風呂に入って寝る準備です。時々思い出したようにお父さんを探すのですが、バアバに本を読んでもらったりしているうちに何とか1日目は無事終了です。
 果たして、心配した次の日の朝がやってきました。私はドキドキしながら孫が起きるのを待っていましたが、6時になっても7時になっても一向に起きる気配がありません。そのうち、「じゃあジイジ、頑張ってよ」と軽い笑みを残してバアバは出掛けたのですが、出掛けてすぐ、気が付くと布団の上で上半身だけ起き上がった孫がシクシク泣いているではありませんか。それはそうでしょう。目が覚めたらよその家。おまけにバアバはいない。ジイジと2人きりなのです。祈るような気持ちで、「チョコレートパン、食べる?」。そう尋ねると、「チョコレートパン」に反応してすぐに台所へ走って行ってくれたのです。やれやれ、これで大きなハードルだった寝起きはクリアです。後は、これも大好きなヨーグルトを食べさせたり、テレビに守りをしてもらっている間にお昼ご飯のお
好み焼きの準備です。
 こんなふうにして何とか3日間が過ぎ、週末は孫の家でお父さんと過ごし、そして日曜日の夜、孫は再びやってきました。2度目の預かりです。今度はさすがに疑心暗鬼だったのでしょう。バアバを見ても、なかなかお父さんから離れようとしません。それはそうでしょう。一度だまし討ちに遭っていますから。それでも、「家にお母さんはいない」ということにただならない何かを感じていたのでしょうか。ちゃんとバイバイができたのです。後で少しだけ泣きましたが。
 実を言うと、最初、娘の入院、孫の預かりという現実を突き付けられて、少し心配でした。朝、大泣きして収拾がつかなくなるのでは、そう思うとどうしても心配になるのです。でも、どうなるのか決まってもない先のことを心配してもどうにもなりません。心配するのではなく、そこをどう神様にお願いするかです。それをよくよく考えているうちに、私は自分の大きな間違いに気付いたのです。
 病気になるまで、娘一家はおかげでみんな元気に暮らしていました。そのことに改めて感謝をすることが抜けていました。願うのはそれからでした。そして、今回の願いの中心はどこなのかを考えてみたのです。すると、私が困る困らないなどは二の次のことで、何よりも大事な願いは、娘の病気が回復すること、そして孫が悲しみのどん底に落ちることがないようにということだったのです。そのことを願うのと同時に、預かる側にできることは何か考えました。孫の守りをするのなら、せめて好きな食べ物、好きなテレビ、好きな遊び、少なくともそれくらいは知っておかないと話になりません。
 そして4日後、無事に娘も退院し、家族3人で孫を迎えに来たのですが、お母さんの顔を見た途端、すぐに走り寄って抱っこしてもらった時の、あんなうれしそうな孫の顔は今でも忘れることができません。計1週間、2歳児は2歳児なりにしっかり事実を受け止め、一度もむずかることもなく頑張ってくれました。おかげで私の心配もほとんど杞憂(きゆう)に終わりました。

 


 

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