●「加治木の土になれ!」

金光教放送センター



 九州の南部、鹿児島県は錦江湾(きんこうわん)の一番奥で、目の前に桜島を眺める加治木町。その町にある金光教加治木(かじき)教会にお参りしている大原安子(おおはらやすこ)さん。現在71歳。
 東京で生まれ育った大原さんは、金光教の教会にお参りする家庭に育ち、学校の試験があれば、必ず時間割を持って教会に参拝して、神様にお願いしていました。
 やがて就職し、職場で知り合った鹿児島県出身の男性と結婚。新天地・鹿児島での生活が始まりました。夫は金光教の信心をすることを理解してくれて、探してくれたのが加治木教会でした。3人の子どもを授かり、近くに住む夫の両親と、充実した毎日が続いていました。
 ところが、結婚して7年目に、突然、夫が胃がんで亡くなるという人生の憂き目に出遭います。自分も夫の後を追って死のうかと思いましたが、3人の子どものことを考え、思いとどまりました。
 加治木教会の先生に、今のつらい気持ちや、将来の不安などを訴えると、「親のこと、子どものことがあるだろうが、あなたの気持ちはどうかな」と尋ねられました。大原さんは、「実家の兄は、『東京に帰って来ては』と言ってくれます。でも、夫は生前、『両親は自分がみたい』と言っていたので、私もそうしようかと思ってはいるのですが…」と答えると、「どちらにしても大変。信心しておかげを頂きましょう」と言われました。大原さんは、その先生の言葉が後押しとなり、鹿児島に残ることを決心しました。
  しかし、その翌年、義理の父も、息子の後を追うようにして亡くなりました。
 大原さんは、当時4歳、2歳、0歳の子どもたちを抱え、内職をしながら、女手一つで子どもを育てました。その間、教会へは毎日のようにお参りしました。先生は、時には2時間くらい丁寧にお話をしてくださることもありました。
 「先生、そんなに教えられても、なかなか身に付きません」と言うと、「それでよろしい。教えは毛穴からでも入る。何か事があった時に、おのずと出てくるものなんだよ」と先生に優しく導かれながら、毎日、育児と内職に励みました。
 それでも、悲しみはなかなか癒えるものではなく、涙はいつ枯れるのかと思う毎日でした。
 しかし、そんなある日、ふと風が吹いてくるのを感じました。これまでも毎日風は吹いていたはずなのに、その日、ふと風を感じたのです。その感覚に戸惑っていると、周りの音も聞こえてくるようになりました。そこには、ずっと繰り返されている日常生活の営みがありました。大原さんは、「ああ、夫が亡くなっても世の中は変わらないんだなあ」と気付いたのです。ここからの人生にしっかり向き合ってみようと思えた尊い瞬間でした。
 夫の三回忌が終わり、少し落ちついた頃、以前、先生が「加治木の土になれ」と言われていたことを思い出しました。「加治木の土になれ」とはどういうことかと思いを巡らせていると、先生から、「今、住んでいるお土地と家を拝ませていただいたら、新しい家を頂ける」とのお話があり、ビックリしました。確かに、独りになった義理の母の家の近くに引っ越したいとは思っていましたが、現実は、定職にも就いておらず、お金もありません。しかし先生は、「10年でおかげが頂ける」と言うのです。
 大原さんはその言葉を素直に受け、毎日家の出入りの時、「お土地さんありがとうございます」と言って地面を拝み、「雨露をしのがせてくださり、ありがとうございます」と家を拝みました。
 そして、ちょうど10年が過ぎた時に、義理の母から急に電話があり、「売地があるので見に行かないか」と言われたのです。すぐその場所に向かうと、お義母さんが「ここは、どうかしら。いずれはご先祖からの土地を息子に遣(や)ろうと思っていたから、それを売って、ここの土地を買って家を建てればいいから」と言ってくれたのです。「ご先祖の土地を売るなんて申し訳ないです」と答えると、「こっちに変わるだけだからいいのよ」と言ってくれました。それからとんとん拍子に話が進み、家が建ったのです。本当に10年でした。
 そのうちにだんだんと、「加治木の土になれ」という言葉の意味が分かるようになってきました。土には、あらゆるものを受け止め、生み出す働きがあります。
 大原さんは、教会の先生の教えを受け止め、義理の両親の思いを受け止め、周りの方々との関わりを受け止めてきました。いろいろなものを受け入れ、肥やされたその土に、大原さんは種をまき、そこから根が張り、芽を出し、花を咲かせることが出来た、そう感じるようになったのです。いつの間にか、この加治木の地が、大原さんにとって心の古里になっていました。
 今は、加治木で生まれ育った3人の子どもたちも成人し、2人の孫に恵まれ、穏やかな毎日を過ごしています。
 きっと、亡くなられた夫も、安心して錦江湾の桜島のように、片時も離れず、いつも家族を見守っていることでしょう。
 大原さんは、「形のあるものは無くなるけど、形のない大いなる神様のお働きは、いつまでも無くならない」と言います。起きてくること全てを「加治木の土」となって受け止め、神様におすがりし、助けられてきたのでした。今は本当に、大きな安心を頂いています。 

 


 

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