●信心ライブ「お菓子の袋」

金光教放送センター


 おはようございます。
 今日は、大阪府天下茶屋教会の教師・白石浩美さんが、平成28年1月に、岡山県の金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
 白石さんは、結婚して4人の女の子を授かりました。ご自身が学校でいじめられた経験があったので、娘には同じような思いをさせたくないと、神様にずっとそのことをお願いしていました。
 ところが、娘さんの一人が小学校で、いじめられるようになります。

 そんなある日、娘にある出来事がありました。ちょうど学校から帰った後のことです。娘が用事で外に出掛けた時、娘は偶然お友達2人と出会ったと言います。
 その時、娘がお友達に、「これを捨てておいて」と頼まれたと言って、私に見せてくれたのは、そのお友達が食べたお菓子の袋とかそういったものが入ったゴミの袋でした。
 私は嫌な思いがしました。何で娘にそんなゴミを持たせるのかと、そんなふうに思いました。けれども娘はそのゴミの袋を私に見せながら、「でも良かった」とそう言ったんです。
 「へ、良かった?」。思いも掛けない言葉でした。
 娘が言うには、以前、そのお友達と外で遊んでいた時に、そのお友達が、お菓子を食べて、ゴミをその場で捨てていたと。それも道路の横の溝にある、ふたをしてあるところの穴にわざわざ押し込めるようにして、ゴミを捨てていたと。その時、自分はどうすることもできなかったと。そのことを思い出して娘は、「これは自分がもらったから、自分がゴミ箱に捨てることができる。だから良かった」。そう言ったんです。
 ああ、私はその「良かった」という言葉を聞いて初めて、娘はおかげを頂いているんだな、そう気付いたんです。
 思い返しても娘は、私に学校であった出来事を、つらい出来事ですけど、そういったことを話している時でも、一度も泣いたことはなかったですし、お友達のことを悪く言うこともありませんでした。
 私はずっと仲良くしていたお友達にさえ、無視をされて、裏切られたような気持ちにもなっていたんですけど、娘はそういったところも何か悟ったように、「まあ仕方がないんだよ」、そんなふうに言っていました。
 つらいことをあまり話すので、「それは嫌やったね」と私が言った時も、「ううん、そんな時は、楽しいことを考えるようにしている。好きなこととか、好きな芸能人のこととか、そんなことを考えて過ごしている」。そんなふうにも言っていました。
 学校で全校生徒が外に出て遊ぶような時間の時に、そのお友達、いじめているお友達の妹さんが、「お姉ちゃん、やめてあげて。可哀想だからやめてあげて」。そう言ってくれたことがあったそうです。
 私はそんな下の学年の子にも分かるようないじめだったのかと思って、悲しい気持ちになったんですけど、娘はその妹さんのことを、「優しいんだよ、そんなふうに自分のことを言ってくれたんだよ、かばってくれたんだよ」。そんなふうにうれしそうに、むしろ喜んで話してくれていました。
 娘はつらい中でも、うれしいこと、いいことを拾って、悪い方にとらわれてなかったんですね。悪いこととして思っていたのは私であって、泣きたかったのも私であって、娘はどんな時も、本当に強い心、大きな心、優しい心でそのことを受け止めていたんだなということが分かりました。
 問題が起きない、悪いことが起こらない、そういったことだけがおかげではなくて、つらいことや嫌なこと、そういったことが起こってきても、そのことをどのように受けさせていただくことができるか、そのことをどうとらえて、過ごさせていただくことができるか、そういうことが大事なんだな。それは問題が起きないというおかげではないけれども、本当に娘は大きな心、強い心、広い心でそのことを受けさせていただいていたので、それは本当に大きなおかげであったんだと初めて気付くことができました


 いかがでしたか。
 当時、娘さんがいじめを受けて、つらい思いをしていた白石さん。しかし、娘の言葉や行動を通して、娘は神様から大きなおかげを頂いていることに気付きました。もちろん、娘さんの言動は、「親に心配を掛けまい」という思いもあったことでしょう。しかし、白石さんは、娘の中に、いじめに負けない強い気持ちが育っていることに気付き、その強い心がさらに育っていくことを親として願っていくことが大切だと思ったに違いありません。
 「悪い方にとらわれない」。いろいろな経験、勉学を通して、知恵と知識を身に着けている大人は、そうしようと思えば思うほど、逆にどんどんと悪い方に考えてしまうことがあります。1人の小学生の「悪い方にとらわれない」生き方が現れている姿を通して、私は自分の心を見つめ直させてもらいました。
 どうぞ皆さん、今日も一日、生き生きと過ごしたいものですね。

 


 

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