●水はいのちの元

金光教富山教会
三浦義雄


 私が奉仕している教会は北陸地方の富山県にあります。富山県は、県境に立山をはじめ高い山々があり、冬には雪で真っ白になります。その雪解け水が平野部に流れ、豊富な水を恵んでくれています。ですから、水道水もおいしく、最近では水道水をペットボトルに詰め、「富山の水」というネーミングで広く販売しているほどです。
 地球は「水の惑星」と言われます。地球の表面は7割が水で覆われ、宇宙から見ると青く輝いています。地球に海が出来たことで、太陽系の中ではただ一つ、生き物がたくさん住む星となりました。また、人間の体の6割、脳に至っては8割が水と言われています。
 このように水はいのちの元であり、私たちは、空気や食物と同じように、水が無ければ生きていくことが出来ません。でも、水に不自由のない生活に慣れ、いのちの元である水への感謝を忘れてしまいがちです。夏の渇水や、災害によって水道水が出なくなるなど、水に不自由し、改めて水のありがたさを思い知るのです。
 私は小さな頃から耳に持病があり、大人になってからも、具合が悪くなると、病院で処方された薬を飲んでいました。ところが、ある日、薬を頂いた後、指の先から頭のてっぺんまでかゆくなってきました。全身にじんましんが出てきたのです。その日は夕方から町内の役員会があり、病院に行く時間がありません。かゆみはどんどん増してきます。その時、弟が話してくれたことを思い出しました。
 弟は以前、ある温泉で宴会料理を頂いた後、全身にじんましんが出てきました。その時、教会長である父が同席していました。弟は父に、どうすればいいか、尋ねました。すると、「お水をたっぷり頂きなさい」と言われ、弟はトイレに行って、お祈りしながら何度も水を頂きました。すると、しばらくしてじんましんが治まった、ということでした。
 その話を思い出し、私は2リットルのペットボトルに水を入れ、それを持って町内の役員会に行きました。会合の間、心の中で神様に祈りながら、時々にペットボトルのお水を頂き、会合が終わるまでに2リットル全部飲み干しました。
 すると、頭のてっぺんや指の先からしだいにかゆみが薄れていき、会合が終わった時には、体中のかゆみがなくなって、じんましんが治まったのです。「すごいなあ」と思いました。水にこんな不思議な力があるのだと実感し、ありがたいなあと思いました。
 古い話になりますが、明治16年、初めて金光教祖のもとに参拝した桂松平(かつら・まつへい)という方がいます。その方は、胃腸が悪い家系で、とりわけ飲み水に人一倍気を使っていました。その方に教祖は、「水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない。水あたりということも言うな。水がなくては一日も暮らせまい。水の恩を知れよ」といった内容のことをおっしゃったそうです。
 また、斉藤宗次郎(さいとう・そうじろう)という方が参拝し、「水を飲むとおなかが痛くなり、食べ物も胸につかえ、10年余りも困っています。どうぞ、お助け下さい」
と願い出た時、教祖は、「水を飲む時にも、食事をする時にも、体が丈夫になるように神様にお願いし、ありがたく頂く心で飲み食いをさせてもらいなさい」と諭されました。
 教祖は、「食物は、わが心で毒にも薬にもなるものである」とも教えられています。水や食物、いのちあるものを生かし育む天地のお恵み、神様からの賜り物として、ありがたく頂かしてもらう心に、体を丈夫にして下さる働きが現れてくるのだと思います。
 私は以前、母から、祖父はお風呂に入る時に必ず、手を合わせて、「頂きます」と拝んでお湯につかっていた、という話を聞きました。それから私も、お風呂に入る時、手を合わせるようになりました。
 孫が生まれ、一緒に入る時にも同じようにしていると、ある時、「じいちゃん、なんで、そんなことしてるの」と聞かれました。一緒にお湯につかりながら、私は、「お風呂のお湯も天地のお恵みであること。そのことに感謝し、体が元気になるように神様にお願いしているんだよ」と話しました。孫は、どれほど納得したのか分かりませんが、私以外の人とお風呂に入る時にも、手を合わせ、「頂きます」と大きな声で言ってから、お湯につかるようになりました。
 金光教の前の教主、金光鑑太郎(こんこう・かがみたろう)様は、


 水はいのちいのちは水とつつしみて ひたすら思ひ水のみにけり
 水はいのちいのちは水とつつしみて ひたすら思ひ水のみにけり


というお歌を詠んでおられます。
 水を飲まずには生きていくことの出来ない私たちです。水に恵まれている日常生活の中で、水を飲む時やお風呂に入る時、水をいのちの元、神様から賜ったお恵みとして、ありがたく、謹んで頂かせてもらうことが大切だと思います。
 そして、日々、いのちの水を頂くことを通して、天地のお恵みの中に生かされていることを体で感じ、天地の恵みにお礼が言える生き方を進めさせて頂きたい。さらに、そうした生き方を、子どもや孫に、また縁ある方々にも伝えさせて頂ける自分にならせてもらいたいと願っています。

 


 

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