シリーズ「信心あればこそ」
●頑張りたいのに頑張れない

金光教牟礼教会
亀井 徹


 皆さんは金光教という宗教をご存じですか。私は金光教のご信心をさせていただくようになり、15年目になります。
 金光教の教会にお参りするようになった切っ掛けは、書店で目にした金光教の教祖が記した書物『金光大神覚(おぼえ)』という本を読んだことです。
 ご信心させていただく前の私は、仕事がうまくいっていませんでした。当時の私は、建設関係の仕事に就いて10年目、中堅どころとして仕事を任される立場にあり、ある程度技量も身に付け、自信を持って仕事に取り組んでいたのです。ところが、その頃から会議や打ち合わせをしても、人に大事な要件が伝わらないことが度々起こり、ある大きな仕事で大失敗をしてしまったのです。
 そんな出来事が何度か続いて、とうとう体調を崩してしまいました。病院で「うつ」と診断され、それから数年間は、薬を飲みながら何とか仕事に行くのが精いっぱいの生活でした。
 頑張りたいのに頑張れない、気力が湧いてこない、自分でどうすることもできない状態が続き、どうしたら病気が良くなるだろうか、仕事がうまくいくようになるにはどうしたら良いかと思い悩み、答えを求めて様々な書物を手に取って読んでみたのです。そうして巡り合わせていただいたのが、金光教祖の書物『金光大神覚』だったのです。
 そこには、江戸時代末期から明治に至る時代に生きた教祖の自伝的な内容が書かれていました。幼い頃に養子に行かれ、家業の農業に精を出し、熱心に神仏を敬う信心をしながらも、子どもの死や飼い牛の死に次々と遭われ、ついにはご自身までもが生死に関わる病に掛かりました。そんな中でも神仏に対して実意な態度の信心を貫かれ、ついに金光教の神様、天地金乃神様と出合われるまでの心の姿がそこに書かれておりました。全て読み終えた後、それまでの私の生き方に無かったものは、この金光教祖のような「実意の心」だと気付かされたのです。
 どこかにお参りする教会が無いか探したところ、住まいの近くに牟礼教会があり、そこに訪ねて行きました。教会の玄関のチャイムを鳴らすと奥様が出て来られ、私が、「お参りしたいのですが」と言うと、「ここは金光教の教会ですよ。良ろしければどうぞ」と、中に案内してくださいました。
 教会の中で出迎えてくださったのは、お爺さんの先生でした。そこで私は金光教のお参りの仕方を教わり、悩み事などを話しました。先生は私の話を丁寧に聞いてくださり、病気や悩み事が解消するよう神様にお願いをしてくださいました。初めてお参りした私に親切に接していただいて家に帰った後、その日は何とも言えない安心感に包まれて休むことができました。悩み事が続いていた私にとって何年ぶりかの安心を覚えたのです。それから週ごとに参拝するようになり、教会の先生に丁寧にご信心を教えていただきました。
 教会の先生は私に、物を大切にすることと、食べ物のありがたさをよくお話してくださいました。先生はよく私に、「日に日に生きるが信心なり」という教祖の教えを語ってくださいました。聞き初めは、「一日一日生きるなんて当たり前ではないか、どうしてそんなことを繰り返し言うのだろうか」と疑問に思いましたが、お参りを続けて先生のお話を聞くうちに、「そういえば自分は、物を大事にせず、使い捨てをし、食事は偏っていて不規則、将来はどうなるだろうかと毎日心配ばかりしていて自分を損なうような生活をしていた。そうではなくて、自分の身の回りにある物を大切にし、その日その日、お世話になった方々に感謝していく生き方をするのが、神様が人に願われている生き方であり、人が幸せになっていく道ではないか」と気付かされていったのです。
 先生のお話は、教祖の教えをそのまま同じように語られておりました。本に書いてある通りなので私も知っています。それが、先生がお話しくださると、はっきりと実感がこもり、生きた言葉となって伝わってきて、何度も何度も腹にこたえました。
 こうしてご信心をさせていただいて、神様のおかげを頂き、生活態度を改めていきました。食事は3食、規則正しくしっかり取り、人との接し方、仕事の取り組み方を感謝の気持ちを持って行うように心掛けたのです。
 そうして生活していくと、仕事のやりとりで行き違いが少なくなり、悩みが解消していき、健康も取り戻していきました。物事が順調に進むようになり、信心はありがたいなあと思うようになって数年経った頃、お見合いをし、結婚をして、家庭を持ちました。金光教には女性を大切にする教えがたくさんあります。そのおかげで妻に優しく接することができ、夫婦仲良く生活をさせていただいております。
 信心する前は、神様というのはどのようなお方なのか想像も付かなかったのですが、先生から、「かわいいと思う心が神心じゃ。この道はよろこびから開けたのじゃから、よろこびではしくじらせはせぬ」と、優しい笑顔で教えていただきました。私はその先生の表情に、何とも言えない明るさと、信心が幸せをもたらすことへの揺るぎない信頼の思いを感じたのです。その時、神様は優しいお方なのだと心に染みたのです。
 金光教は、「話を聞いて助かる道である」と言われております。教会でご信心を教えていただいて私に幸せな人生が開けたように、一人でも多くの方に神様の優しいお心に触れていただきたいと願っています。

 


 

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