●信心ライブ「人を軽く見ないこと」

金光教放送センター


 金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。今日は、茨城県にある金光教結城教会長の大木光雄さんが、一昨年の1月、金光教本部でお話しされたものをお聞き頂きます。

 教祖様はご晩年に、「私にも欲がある」とおっしゃられて、「世界の人々を助けたい欲がある」という教えをなされたわけであります。で、この事柄を、私がもう一度、「世界の人を助けたい」と願って下さった教祖様のその思いを頂き直すというのが御用の在り方の中の大切な部分であると考えております。
 今、私たちは、同じ時代を生きているわけですけれども、近代化とかグローバル化とか、いろんな難しいことがたくさん出てまいりまして、様々な仕組みの中で動いている時代です。東京へ通わせて頂いておりますと、生きづらさを抱え、難儀に苦しんでいる人たちとたくさん出会うわけです。そういう人たちが少しでも、金光大神様の、このお道のご信心に触れて、神様や御霊様と共に、「ありがたいなあ」と言える生活を進めさせて頂ける、少しでもその御用に、神心になってお仕えさせて頂ければと願っております。
 しかしながら、先ほど申し上げたように、そういう建前と言いますか、願いは立てておるんですけれども、なかなか実際の私の生活と言いますと、神心になれない人間の弱さと、そして難儀さ、自分の難儀さに毎日毎日向き合いながら、「どうすれば本当に神様のお心にかなうのか」ということに取り組んでおります。
 東京センターへ通わせて頂くのに新幹線を使わせて頂くんですが、教会から2時間掛かりまして、毎日教会を7時50分に出ているんですけれど、ある時こんなことがありました。
 私が乗る東北新幹線は通勤の東北新幹線で、ほとんどがお勤めに行く方が並んで乗ります。新幹線の乗り口に並んで待っていますと、土曜日だったんですが、休日ですから他のサラリーマンの方はおりませんでしたけれども、乗り口に並んでおりましたら違うところに若いカップルが、土曜日ですから東京へ遊びに行くんでしょうね、並んでおりました。私は、「今度の電車の乗り口はここだ」というのは分かっておりますので、「そこはちょっと違いますよ」と。「今度の電車は、この緑色の入り口のところです」と声を掛けたんです。で、私は何も期待して声を掛けたわけじゃあないんですが、普通だったら、「ありがとうございました」というのが返ってくるのかなと思っておりましたら、何も言わずにそのカップルが私の後ろを通ってもっと前の方の電車に行かれた。その時にその女性が、「あのおじさん、なんで私に声を掛けたのか分かる? 私が可愛いからよ」と言うんです。別に可愛くないということではないんですが、やっぱりこの、人間関係と言いますか、ちょっと、「ありがとうございました」とか、声を掛けずともちょっと会釈するとか、そういう最低限のマナーみたいなものが、どうも失われつつある。私は今年62歳になるんですが、東京に通わせて頂く中で一番つらいのが、そういう人に出会うというか、その人の言動を目の当たりにした時の自分の心の動きに、非常に信心の神心を作っていくということの大切さを改めて感じさせて頂くのであります。
 「腹を立ててはいかん」と、もう少し心を広く持ってですね、そういう方がいても、「金光様、どうぞ」と、相手の方が、人として、氏子として良い生き方が出来ますようにというふうに祈らせて頂きたいとは思うんですけれども。山手線なんかに乗っておりまして、出入口でもたれ掛かって、荷物を置いてですね、どんと下へ置いてスマートフォンにずっと興じているような、そういう姿を見ますと、「一体何なんだろう、神様は皆、神の氏子、どんな人間でも神の氏子で、助けたいと願って下さっている。しかし、信心させて頂いている私がその方たちにどういう触れ方、どういう祈り方、どういう導き方をさせて頂ければいいのかと、常に悩みながら物事を進めているわけであります。


 いかがでしたか。モラルの乱れが問題視されている今の時代ですが、大木さんは、そのような場面に接した時、ご自身の心の在り方を問題にされています。一方で私はと言うと、ただ腹を立てるだけ、相手を非難しているだけ、のことが多いなあと思いました。
 例えば、スマートフォンの画面を見ながら自転車に乗っている人を見た時。「危ないことが分からないのかなあ。この人、バカなんじゃないの」。そんなふうに思ってしまうんです。
 金光教には、「人間を軽く見たらおかげはない」という教えがあるのですが、悲しいかな私は、知らず知らずのうちに人間を軽く見て、いつもおかげを受け損なっているのです。
 そもそも、人が助かるように願うことが信心の根幹です。
 神様、これからは、スマホを見ながら自転車に乗っている人を見掛けても、その人を非難するのではなく、こう願わせて下さい。
 「どうか一刻も早く危険なことだと気付きますように」。「どうぞ事故など起こしませんように」。

 


 

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