●ハッピーマーク

金光教仙台南部教会
西川浩明


 どなたか心の豊かな人が名付けたのでしょう、アザのことを「天使のしるし」とか「神様がつけたハッピーマーク」とか言うそうです。大人になると周りの目線をあまり気にしなくなるのか、それとも気にする余裕がなくなるのか、すっかり頭から離れていましたが、ふと、私にもハッピーマークがあることを思い出しました。
 私が小学生のころのことです。夏休みに、家族旅行先で食堂に入りました。運ばれてきた豪華な食事を両親や兄弟たちとおいしく頂いていると、ふと、斜め前に座っている同い年くらいの女の子が、こちらをチラチラと見ているのに気が付きました。その表情は険しく、どこか不安そうでした。この女の子は何を気にしているのだろう…と少し考えて、ハッと気が付きました。「僕の左腕を見ているんだ」。
 私の左腕には、腕全体に広がる点々模様の大きなアザがあります。生まれつきのアザですから、痛くもかゆくもありませんし、体の機能的にも何の問題もなく、それまで特に意識することはありませんでした。しかし、その時、女の子が私の左腕を見て気持ち悪がっていることがはっきりと分かり、私は、とっさに自分の左腕が女の子から見えないよう、テーブルの下に隠しました。さっきまでおいしく頂いていた食事の味が、口の中からスーッと消えていくような気がしました。
 私がアザを気にするようになってからしばらくして、学校の校庭で友達と遊んでいると、大して仲良くもなかった子が私のそばに来て、「その腕どうしたの?」と聞いてきました。私はドキッとしました。その瞬間、あの食堂にいた女の子のいぶかしげな表情が目に浮かびました。
 「…生まれつきのアザ」、「ふ〜ん…」。その子は、まじまじと私の左腕のアザを見続けています。
 ああ、やっぱり僕の左腕はみんなと違って変なのだ。このアザをみんな本当は気持ち悪いと思っているんだ。私はとても暗い気持ちになりました。
 「…やっぱり気持ち悪い?」。恐る恐る小さな声で聞いてみました。
 すると、意に反して、その子はパッと明るい顔になって言いました。「ぜ〜んぜん、気持ち悪くないよ! むしろ気持ちいい!」。その子は、私の左腕をつかむと、撫でたりさすったりしました。「すべすべだあ〜!」と笑いながら、犬がじゃれているみたいに頬ずりまでしてきました。
 そこまでされると逆にわざとらしくも感じましたが、「わあ、くすぐったい! やめてくれよ〜!」とその子を引き剥がそうとした私の顔は、もうすっかり笑顔になっていました。気にしていたアザを、「気持ち悪くないよ」と言われたことが単純にうれしく、ましてや、今まで一緒に遊んだことがなかった子と、アザがきっかけで仲良くなれたのですから。
 人は誰でも、異質なもの、知らないものを怖れ、避けようとします。子どもであればなおさら、見るものほとんどが初めてだらけで、見て感じたことは露骨に顔に出ます。
 その子だって私の左腕を見て、最初は気持ち悪いと思ったかもしれません。しかし、きっとその子は、誰かから、「人を見た目で判断したり、差別したりしてはいけない」「誰にでも親切にしてあげなさい」というような大切なことを教わっていたのだろうと思います。そして、内心気持ち悪いと思いながらも、その気持ちを乗り越えて、教わった大切なことを実践してくれたのだと思います。
 ところが、中学校・高校と進み、思春期を迎えた私は、その大切な体験をすっかり忘れて、夏になると、暑いのを我慢して長袖シャツを羽織ってみたり、半袖の時は出来るだけ自分の左腕が死角になる場所を探してみたり、彼女が出来ないのは左腕のアザのせいと決め込んでクヨクヨしたりしていました。
 コンプレックスというのは、厄介なもので、ひとたび劣等感に取りつかれてしまうと、何かちょっとしたことが起きても、すぐにそのコンプレックスに結びついてしまい、悩めば悩むほど深みにはまって、抜け出せなくなっていくのです。
 「このアザで一生結婚出来ないかもしれない」「何かの弾みで結婚出来たとしても、生まれた子どもにアザが遺伝したらどうしよう…」。そんな先のことまで考えて絶望するのですから、始末に負えません。しかし、人からすれば大した問題ではなくても、当の本人にとっては一つひとつが大問題なのです。
 やがて、大人になり、多くの人との出会いと信仰との出会いで、いつの間にかアザのコンプレックスからは解放されました。更には、思春期にクヨクヨと悩んでいたのが嘘のように、人並みに恋愛をし、結婚も出来、玉のような女の子を授かりました。
 小学校のころ、「気持ち悪くないよ」と言って笑い飛ばしてくれたあの子の優しさが、今になって身に染みてうれしく、尊いものを感じます。
 金光教の教えに、「互いに親切にし合えば、神様もお喜び、人もなお喜びである」というものがあります。少しの勇気を持って、少しの親切をするだけで、心を救われる人がいる。それを見て神様がお喜びになる。まだ小さかったあの子が、それを私に実践して見せてくれたのだと思います。
 私の左腕のアザは、長い年月を掛けて私に大切なことを教えてくれたハッピーマークだったのです。

 


 

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