ラジオドラマ
「毎度ご乗車ありがとうございます。」

●第6回 舞い降りた花びら

金光教放送センター

登場人物
   伸子(専業主婦)56歳
   道太郎(伸子の兄) 60歳
   道太郎(子ども時代)
   君(伸子と道太郎の母) 80代後半
   紀子(パート) 28歳
   太郎(紀子の息子)8歳

(ナレーション)
ただ今より皆様を7分間の列車の旅へご案内致します。それでは出発です。(電車の出発音)

(電話の着信音)

伸 子: はい、もしもし、あっ、お兄ちゃん。何か急用でも? …えっ、お母さんを家で預かってほしい?
道太郎: 頼むよ。会社を今度定年退職するだろ。社宅から引き揚げなきゃならないんだ。次の住まいが見付かるまでの間…。
伸 子: じゃあ、ひと月ぐらい?
道太郎: う、うん…。
伸 子: (渋々)仕方ないなあ…。
道太郎: 恩に着るよ、伸子。
伸 子: じゃあ、今度の日曜日に、お母さん迎えに行くわ。

(電車の進行音)

(ナレーション 伸子)
その日はお花見シーズンも終わりに近付き、車内は空(す)いていました。久しぶりに会った母はすっかり年老いてみえました。
近頃、母と意思の疎通が難しくなったことを兄から告げられ、心が重くなりました。食事はのどに詰まらせないものを作れとか、お風呂には付き添えとか、散歩にも連れていくようにと頼まれた私は…。

伸 子: あーあ、大変なお荷物引き受けちゃった…。
 君  : そんなに大きなため息をついたりして、どうかしたのかい、伸子…窓の外を見てごらん。桜の花が散り始めている。チラチラ…チラチラって奇麗だねぇ…。

(扉が開き、子連れの母親が乗り込んでくる)

太 郎: わーい、空いてる! ここがいい! ママも早くーっ!
紀 子: ハイハイ、よいしょっと。(荷物を置いて座る)遊園地、楽しかったわね。ママも一緒に楽しんじゃった。さ、早くお弁当を食べましょう!
太 郎: いただきまーす。

(ナレーション 伸子)
ところがお弁当を食べ終えたその若い母親は、幾分中身を残したまま、折り詰めを無造作に座席の下に放り込んだのです。

太 郎: ママ、学校の先生から、「ゴミはくず籠に」って教わったよ。
紀 子: 電車にはね、お掃除を専門にする人がいるの。ここに置いといてもいいのよ。
太 郎: でも先生は、「それが社会のマナーです」って。
紀 子: マナーってみんなが普通にやっていること。人は人、自分は自分、気にしなくてもいいの。

(ナレーション 伸子)
「ち、違います! 社会人として守らなければならない決まりです、マナーっていうのは」と、思わず声を上げそうになったその時…。

 君 : (イキイキとした声)ミイちゃん…さあ、こっちへおいで。お飯(まんま)があるよ。今夜はごちそうだねえ…。
伸 子: (びっくりして)お母さん、何を訳の分からないこと言ってるの?
 君 : 好き嫌いしてお前たちが食べ残してしまったおかずはいつもミイちゃんに食べさせてあげたじゃないか。
伸 子: どうかしたの、お母さん、この電車の中に猫なんか…!

道太郎: (回想)お袋、このところ変なものが見えたり聞こえたりするようなんだ。幻覚っていうやつなんだろう。

伸 子: …あ、これがその…。
 君 : ミイちゃん、いい子だねえ。

(ナレーション 伸子)
そんな母の姿を見て、私は50年以上も昔のことを思い出しました。

(猫の鳴き声)

 君 : (凛〈りん〉とした声)伸子! 道太郎! どこで拾ってきたの? …可哀想に。こんなに震えて…。よしよし…ミイミイって鳴くからミイちゃんって名前にしよう。でも、大家さんから、生き物は飼っちゃいけないって…。
伸 子: (これも幼き日の声)お母さん、この子猫ちゃんは捨てられちゃったんだよ。お父さんもお母さんもいなくて独りぼっちで寂しいから泣いてんの。
道太郎: 帰るおうちがないなんて、僕は嫌だ。家に置いてやって!
伸 子: 可哀想だ。
道太郎・伸子: 可哀想だよー!(2人して泣く)
 君 : まあ、あんたたちは…(泣く)

(ナレーション 伸子)
あの時、母は突然顔を覆ってワッと泣き出したのでした。
私たちはびっくりして泣き止んだのを覚えています。

伸 子: ねえ、お母さんはあの時どうして泣いたりしたの?
 君 : それはうれしかったから。ありがたかったから。
伸 子: (意外そうに)ありがたい?
 君 : 行く当てがなく鳴いている子猫を見て、可哀想だと思う優しい思いやりに満ちた子どもたちに育ってくれたことがありがたくて…ありがたくって、うれし涙があふれて…。

(ナレーション 伸子)
私たちの成長を心から喜んでくれた母。
産んでもらい、育ててもらったという恩を忘れ、老いた母親をお荷物のように感じていた私。今こそお母さんに恩返しが出来る時なんだ! 桜の花びらが空からたくさんチラチラ…チラチラ舞い降りて来るように、そんな思いが私の体をすっぽりと覆い尽くしたのでした。
私は夢中で、電車のデッキへ飛び出して行きました。

伸 子: (電話)あ、もしもしお兄ちゃん、あたし。…お母さんずっと私ん家にいてもらってもいいのよ。…えっ、どうして考えが急に変わったかって? それ…それは誰かが、私の心に春風を運んできてくれたの…。

 


 

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