研究生退所式

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令和元年度 研究生退所式



令和元年度研究生退所式 教学研究所では、教学研究の次代を担う研究者の育成と、新たな研究動向が生み出されていくことを願って、研究生制度を設けている。このたび、金子信栄(福岡・夜須)、橋本雄二(京都・伏見)の2名が、5か月の実習期間を終えた。

 退所式では、大林浩治所長が次のように挨拶した。

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 実習では、所員の指導のもとで取り組んだのであるが、いざ自分で研究すると、研究とは何をすることなのか、随分身につまされたり、不安に襲われたと思う。所員からは、「複雑なことを考えず、ただ資料や文献を読めばいい」と言われ、そうできないもどかしさを味わいもしただろう。

 研究とは何か。簡単に言えば「いろいろ調べ、そこでわかったことを書いてみた」ということになる。しかし、ここで言っているのは、自分が想定可能な「わかる」ではない。わかったことがどんなものか、ほとんど想像できないような「わかる」という経験が加味されている。

 このような「わかる」経験は、見方を変えれば教祖が経験していることでもある。例えば、教祖42歳の大患における神からの無礼の指摘では、わかったとしている人間に対して、「神のはからいの不思議さ」を理解しないことが問題になっている。それを教祖は、何が無礼かわからない「凡夫」として受け止め、物事の理解の仕方を根底から、人間全体のこととして問題にした。それは、自分という存在を見返す作業でもあり、自分を超える圧倒的な「わかる」経験となっている。

 人は、「わかる」ということを、自分の了解内で済ませることだと思い込んでいる。しかし、そのわかり方の仕具合を本当の意味で問題にすることが、私は教学にとって何より大事だと思う。

 その意味で、研究生が感じたそのもどかしさこそが、自分自身にも目掛けた真剣な取り組みであり、「わかる」ことを真の意味で経験した証拠になっている。実習を通したこの経験が、今後の取り組みに生きてくると信じている。
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