研究生入所式

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令和3年度 研究生入所式(5月1日)



高木博志氏(京都大学人文科学研究所所長) 金光教教学研究所では、次代を担う研究者の育成と、新たな研究動向が生み出されていくことを願って、研究生制度を設けている。このたび三好儀生(愛媛・上宇和)が研究生に委嘱され、入所式が同所で行われた。

 式では、大林浩治所長が次のようにあいさつした。
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 教学研究に関心を持って取り組む人が新たに加わったことを嬉しく有り難く思う。

 教学は、本教の信心や、信心に関わる事柄を対象とし、批判検討という作用を通じて、信心の可能性や意義、問題性などを明らかにすることを目的とする。そのため、論理的な思考の錬磨、問題意識の掘り下げ、教学研究にふさわしい態度、構えといった教学としての基礎的素養を身につけることが必要になってくる。

 とはいえ、その教学が対象とする信心は、人間の生き方と密接に関わるもので、一人一人の有り様に表されるものだろう。人生に正解はないように、信心にも正解といったものはない。そのような信心に向かって、これこそが正解だとしていると、それ自体が他の有り様を許容しない、偏狭な価値観であることを逆証することがある。

 このお道にも、これが当然だ、唯一のあり方だとして、常識、価値観に縛り付けられた人間が、教祖の言葉によってその苦しみからほどかれ、世界の広がりを感じ取り、そしてそれを信心ならではのこととして経験してきた歴史がある。

 このような点から言えば、教学で大切になるのは、何が正解かと考えるような信心の取り扱い方ではない。反対に、そのように信心を取り上げ、問題にし、見極めていこうとする私たちの態度こそが真っ先に問われ、整えられていくことが大切だろう。今日からの研修では、このように信心として、教学として、自分が問われることを大切にしていただきたい。

 ところで、この営みは、ある意味、教祖にとってもなされていたと言える。帳面を書く教祖からは、教祖自身が神から「金光大神」と呼ばれる意味を問うていた姿が浮かぶ。そうした信心や自己を問う教祖の営みは、教祖における教学の営みそのものであろう。それはまた、真に問うに値する謎である自分自身の見極めを、生きる経験として、神から促されていたと言えるのである。

 研修を通じての学びや発見が、こうした営みに触れながら、自分自身との出会いと発見となるように願っている。
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 続いて、研究生が抱負を述べ、担当の指導所員が発表された。 なお、研究生は9月30日まで実習に取り組む。
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