教学研究会

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第54回教学研究会



 開催日:平成27年6月19~20日

 6月19、20日の両日、金光北ウイングやつなみホールで、第54回教学研究会が開催された。この度の会合では、教祖130年、教祖生誕200年という節年を続けて経験した今として、教祖をめぐる問いや関心はどのように生じ、どこへ向けられてきたのか、改めて教祖探究という営みの動向について参加者と共に討議した。このことを通じて、教学研究の問題意識や課題を掘り起こし、今後の展開に資することを願いとした。

 第1日は、まず8名による個別発表が2会場に分かれて行われ、その後、全体会へ向けたプレシンポジウムが行われた。

 第2日の全体会シンポジウムでは、「〈教祖〉へ目を向ける意味―今、教学として考える」のテーマのもと、発題、コメント、全体討議が行われた。


所長挨拶


 開会にあたって、竹部弘所長から大要次のような挨拶があった。「この度の研究会では、「〈教祖〉へ目を向ける意味」とのテーマを掲げている。教祖へ目を向けるということは、教学研究で一貫して求めてきたものであるのみならず、金光教の歴史を通じて、時々の教団あるいは信奉者個々の信心、修行を通して求められてきたものである。

 そのように言うと、そこに目を向ける意味とは、問うまでもない至極当然のことのように思われるが、必ずしもそうとは限らない。ここ30年ほどを見ても、昭和58年に現在の教典、その10年後に教義書、更にその10年後に教祖伝が刊行され、その度に様々な動きが起こされてきた。

 しかし、それにも波があるのであり、常に求められるべき教祖であるという要件と共に、今このときに教祖が問われる意味とは何か、という問題がある。また、求めることによって自分が問い返されるという、教祖と自分との関係がある。

 これは教学の意義でもあるのだが、これまで理解している教祖ではない、良い意味で外されるという逆転が起こることで、教祖像のみならず、金光教の信心のイメージ、そして自分と教祖の距離や関係が変わるということもあろう。

 近くて遠く、遠くて近いその関係について、本研究会を通して皆さんの中で新しい経験が生まれ、そして心身共に刺激を受けて、ここからの信心、御用が開かれていくようになれば幸いである」。

 以下、第1日の個別発表の題目、及びプレシンポジウムの概要と、第2日の全体会の概要を記す。



第1日 個別発表



A会場


北村貴子(助手)「本教における性役割意識への問い ―高橋富枝に注目して―」
服部貴子(牧野)「死者とともに生きる ―「死者」への注目と本教のみたま―」
高橋昌之(所員)「死者が感取される意味世界 ―「覚書」「覚帳」の「先祖」に関わる記述を中心に―」
橋本美智雄(伏見)「I LOVE KYOSO  ―御理解伝承者の系譜から―」


B会場


須嵜真治(助手)「明治38年の「教会長講習会」の開催意図とその背景」
山田光徳(助手)「神道金光教会期における「祭典儀式」の成り立ちとその背景 ―「在来の形式」との関係を手がかりに―」

野中正幸(研究員)「『北九州教区だより』における教師執筆欄の40年 ―教区へ向けて「書く」ことをめぐって―」

児山真生(所員)「昭和40年代における「教団布教」創出の力学 ―「教会の自立性」をめぐる問題意識に注目して―」


プレシンポジウム


 プレシンポジウムでは、教祖への関心をめぐって、信心の「今」に関わる問題領域を浮かばせるべく、佐藤光貴(金光教学院)、西村明正(西宮)、竹内貴志(金光新聞編集室)の若手教師3名による話題提供、及び討議が行われた。全体会へ向けて、以下のような論点が出された。

今、若い世代から、教祖の縁遠さやリアリティの無さといった声が聞かれる。こうした反応は、現代社会を背にした自己との関係・距離の問題として教祖への関心が探られている様相を浮かばせている。そこには、所与のイメージと日常の実感とのズレ、あるいはその摺り合わせの問題が関わっていると考えられる。

またそれは、二つの記念年を通して、広く教内の信心現状としても経験された問題ではないか。記念年における教祖への関心の高まりについては、諸会合の動員等、信心の発揚を促す契機、エネルギーといったことが想起される。それは、信心の営みを支える意味や根拠への強い求めに発するものとも言える点で、自己との関係に生じる不全感や抑圧の問題と表裏の関係にあるように感じられる。

そうした様相の背景には、教内の問題に留まらない、広く社会全体を取り巻く紋切り型の思考様式も影響しているのではないか。そしてそれは、現代社会における宗教観や世界観の問題と無関係ではないだろう。

そうとして、「感動」といったような感性的、あるいは身体的な回路からの教祖への求めも一方で兆しており、記念年を契機とした「霊地」「聖蹟」等の見直しは、その一例として捉えられよう。

そうした今の情況を、例えばパワースポットブーム等の現象が見られる社会との関わりで、どう積極的に捉え返していけるかが問われていよう。そして、そこからどう新たに教祖、そして信心のリアリティを見出していくかが、さらなる課題となっていくのではないか。



第2日



全体会シンポジウム


 全体会では、白石淳平、大林浩治、岩崎繁之の各所員による3本の発題、それに対する、児山真生所員、河井信吉嘱託からのコメント、それらを受けての全体討議(司会・高橋昌之所員)が行われた。それぞれ大要は次の通り。


発 題


○ 〈教祖〉へ目を向ける意味 ―生きられる世界への問いとして―  白石淳平(所員)


 小野家文書によれば、大谷村の氏神社や荒神社では、定期的に神楽が奉じられていたことが窺える。また佐方村の社家に伝わる当時の神楽台本には、天照大神の再臨に続いて、鬼神の金神へのまつりかえが語られている。

 このことからは、金光大神の隠居などで捉えられてきた、天照皇大神から金神への「もらい受け」を、この神楽でのまつりかえと対比しつつ、神々と関わる生活世界の問題から考察する可能性が示唆される。

 そこで本発題では、「覚書」の「もらい受け」と民俗信仰における神楽という、一見直接結び付けにくいような要素や領域相互の関連性に視野を及ばせることで、対象の新たな拡がりについて考えてみたい。

 「もらい受け」との類縁性を窺わせる神楽台本の内容には、記紀神話になぞらえた神楽の改変以前における金神のリアリティが示唆される。そこからは、「教祖の信仰世界」という限定に納まらない様相への関心が催される。神楽をはじめ、民俗信仰の神祭祀に発する神事や芸能は、神との関係の模索に生じた言語化、身体化の営みであったと言えよう。そこには、現実の生活世界に、目に見える以上の奥行きや幅を感取していた人々の感受性が浮かんでいる。

 民俗的様相への改めての着目は、取次専念へ向けた信仰進展という文脈上において、「もらい受け」に民俗的世界からの「離脱」を捉えてきた従来の解釈に一考を加える試みとなるのではないだろうか。当の金光大神に生きられた、現実の奥行きへと光を当てていくことは、民俗的様相との線引きによって捉えられることになっていた教祖の信仰を、さらに拡がりをもって捉え直すことに繋がると考える。

 そしてそれは、従来の意味での実証性を問い直していく取り組み、すなわち、改めて対象に出合い直す経験と言える。そこでは、今、教祖を求めようとする我々において生きられる現実への感受性が、同時に問い返されることになるだろう。


○ 〈教祖〉へ目を向ける意味 ―世界認識の方法として―   大林浩治(所員)


 本発題では、フランスの哲学者ミシェル・フーコーと吉本隆明の対談(「世界認識の方法」)を手がかりに、教祖への関心を、世界の事象をより深いところで捉える方法として提起してみたい。

 教祖を知るというとき、わたしたちは、自身の存在を前提にし、金光教の信仰のことを、金光教という世界の中でのこととして知ろうとしている身構えがある。対して、主体としての人間の存在を前提にした認識のありようを否定したのが、フーコーである。そして、世界とは、フーコー的な言葉で言えば、人間の内面の無限の自由によってあらわれるのではなく、人間の内面を規定する大きな枠組みとしてあらわれるもの、ということになる。

 教祖は、一人の人間として、そのようにあらわれる世界を、神との関わりで確認すると共に、人間としての声を響かすことになったのではないか。この場合、教祖を知るというのは、神を介して未知の世界を知るということに結ばれる。

 人間の疎外を問題にする吉本に対してフーコーは、「言葉を失った者たち、排除された者たち、死に瀕した人たちに耳を傾ける必要がある」と投げ返した。そうしたフーコーの問題意識は、信仰に対する認識の不十分な面を明らかにし、規範的な思考を唯一の頼りにする考え方を破棄する必要性を示唆する。つまり、信仰に向けたものの見方、そして教内のみならず、いまを生きる人間のものの見方として世界をつくりあげている、その構造の方を問題にする要があるということだ。そして、教祖自身の歴史的、時代的な様相の中には、社会を問うという超歴史的モメントが浮かんでいる。そのモメントを探る教祖という関心が、世界の組成を問い、組みかえ直す指向を持ちえるのである。

 例えば、そうした問題として、「神の頼みはじめ」における貨幣の意味が問われてこよう。そこには、世界的な規模で様々な問題に当面する現代社会にあって、教祖への関心が、その問題の根幹をなす資本主義経済、貨幣経済に対する認識の方法たりうる可能性が浮ぶ。このように、世界認識の方法として教祖を捉えることは、人間に強いてくる社会的な関係の力に対する、信仰ゆえの希望と言えるのではないか。


○資料から浮かぶ問題 ―〈教祖〉への手がかりとして―  岩崎繁之(所員)

 
 百数十年前の帳面の古い文字を読み、諸学の知見を手がかりにしつつ過去を理解し、解釈するという、教祖研究の営み。教祖へ目を向ける、すなわち、その営みのありように今改めて向き合おうとする時、そうした資料と研究との関わりの現代性について考えさせられることになる。

 そこで、これまでの研究史を、特に資料との関わりに注目して遡ってみると、資料を研究の手がかりとする一方で、資料によって研究的方法に変更が迫られるというように、資料をめぐる思考の転回の様相が浮かんでくる。

 教祖御略伝編纂委員会の設置、「覚書」の登場、御伝記『金光大神』の刊行、「覚帳」の登場と新『教典』の刊行というように、基づく資料の変遷と共に振り返られる教祖研究の歴史からは、概念そのものを再考させるに及ぶ事態としての資料論の可能性が浮かぶ。そして、そうした資料と研究との関係の更新は、その時々における現代性への問いとして、「人間」「生活」「現実」というような、生きられた信心のありようへの求めと工夫によって催されてきたと言える。

 このように、資料との関わりで、新たな認識が生み出されつつ、絶えずその認識が揺さぶられるという繰り返しの歴史の延長線上に、我々の今は捉えられるだろう。

 ところで、原資料の解読により表記を改め、章節項が付された新『教典』では、「覚書」「覚帳」「御理解」が整理されて提示された。当初は画期性を帯びていたそれらも、時間を経た今となってはある種の前提を我々に抱かせていないだろうか。つまり我々は、新『教典』による枠組のもとに思考することになっている、ということだ。所与のものとなった認識枠組で物事を見ることは、思考の閉塞を招く。例えばそれは、「すでに知っている」ことが「驚き」を遠ざけるというかたちで、新版『金光大神』への反応にも表れているのではないか。今、その「驚き」を新たにするため、認識を揺さぶる可能性を秘めたものとして改めて原資料に目を向けることは、教祖研究の視座を問い直すことに繋がるのではないか。

 現在、表記形態への注目から教祖直筆資料の個別的性格や関係性の究明を試みている。その現代的意義が、こうしたかたちで、教祖研究の歩みの上に確認されるのである。


コメント


○ 児山真生(所員)


 教団史研究において、新たな研究への気付きというものは、資料と出会う中での素朴な驚きや疑問などから得られていく。それは、現代に生きる一人の人間としての感受性や関心などを媒介としているものでもある。その上で、時間や場所という歴史性の中に浮かぶ教祖というものを視野に収めることで、改めて、「教団」や「布教」についての認識を拡大・深化させていけるのだろうと思う。

 例えば、普段意識せずに使われている「教祖広前」という言葉の成り立ちを尋ねると、昭和29年の教規改正に至る議論において、教団全体を捉え直していく概念として見出されたものであったことが分かる。そしてその背景には、戦後の教務教政の課題として、支配・統制というものを外した本教の特徴を是非に実現したいとの念願があったことが窺える。

 このような事例からは、当面する課題の克服を願って、強い思いを持ちながら教祖へ向かう中で見出した意味によって、自分達が成り立ってもきたという関係が浮かんでくる。 ここからは、個人の実感や信念を超えた、例えば、教団のような集団的な場面で考えた場合、どういう文脈においての教祖なのか、との歴史性への問いが生じてくる。ある意味でそこには、見出した教祖を所与のものにしていく契機が孕まれていることも否めない。

 しかし一方で、問いを向けた先の教祖から、こちらに対してどのような、何への眼差しが向け返されてくるのかという問題もある。そのことが、絶えず課題であり可能性として問われていくだろう。

○ 河井信吉(本所嘱託・国際センター次長)


 発足20年を迎えた国際センターでは、一昨年より、これまでの営み全体の見直しを行っている。そうした中で、教団布教を支えている教務観自体を前提から問い直すという動きが生じてきており、それは、信心がどのように生きられているか、ということの捉え直しにも繋がっている。

 例えば、世界の人々と出会う様々な活動を通じ、与え手と受け手というような近代的な主客の論理ではなく、関係性や環境という、より生きられる場や実践において信心を捉えていこうとする問題意識が立ち上がってきている。また、ラウンドテーブル等の議論では、身体性やディシプリンといった問題への注目もなされてきている。今回の発題には、そうした国際センターの動向・関心に響き合うものを感じる。

 白石発題で言えば、神観や霊観というものを、人々に実感されてきた世界から立ち上げ直していくことの重要性を思わされる。その意味で、伝統的な民話や神話に加え、今若い世代で関心の対象となっているサブカルチャー的な世界をも含めて、聖なるものへの想像力と積極的に関わりながら、もう一度、教祖へ問いを向けていくことも大切になるだろう。

 また、フーコーの議論を取り上げた大林発題では、主に世界認識に焦点が当てられていたが、そうした実感や実践ということに関わっては、世界と同時に、自己への認識の問題も重要となるだろう。その意味で、フーコー晩年の議論における「自己への配慮」は、本教における「信心の稽古」への関心を新たにさせるのではないか。それは、信心という営みを世界・社会との関係で反省的に捉えることの意味を考えさせると共に、教祖自身における稽古や研鑽、あるいは自己への反省について、関心を喚起する。岩崎発題における、教祖直筆資料の表記形態への注目は、そうした「信心の稽古」の勘所へ迫る、一つの手がかりともなるのではないだろうか。


全体討議


二つの記念年を経た今だからこそ、こうして改めて、どのように教祖に向き合ってきたかを個々人の中で確認し、それぞれにとっての意味を出し合ってみることで、継続的な教祖への関心に繋がっていくことが期待される。

教祖へ目を向ける意味を問うということは、ある意味、「教祖という資料」からどういう意味が導き出されるかという問題とも言える。しかし教祖は、意味が導き出される源泉である一方で、そこから問いが発してくる源泉でもあり、そのダイナミズムを捉えていく要があろう。

教祖という名指しには、私たちの「信」が関わっている。ある意味、それは無根拠なのだが、だからこそ、その無根拠の「信」の上に立ち上がってくる教祖を各々がどう捉え直すかが重要となる。結果、そこでは自らの信仰が見つめ直されることにもなっていくのであり、それゆえに私たちの教祖への「信」には、自らを根底から覆すほどの、秘められた教祖の力との緊張関係が孕まれていると言えよう。

教祖との距離確認は、ある種の解釈学的な要請でもある。その意味で、その距離が明確に意識されていた当時の信心状況として、教祖との身近さがあったと思う。一方現代は、そういう距離確認以前の問題として、教祖が分からないということがあるのではないか。その背景には、神への感受性が衰微している世の中全体の状況があるだろう。

現代は、たとえフィクションであっても、あえて物語を立ち上げていかないと前に進めないような状況と言えないだろうか。そうした中にあって、パワースポットブームといった現象は、土地の解釈、あるいは伝承をどのように掘り起こしながら教祖が生まれてきた意味を考えていくのかという、救済の社会的意味への関心に響き合うのではないか。

この道の助かりが個的救済で完結しないためにも、難儀な氏子が社会的な存在だという確認はやはり必要だと思う。助かりや救いを個的なものとしてのみイメージすることは、難儀、そして教祖の信心を限定的に捉える視点にもなるからだ。そのような意味の閉塞から開かれるためにも、世界認識という問題が重要になってくるのではないか。

大林発題と河井コメントを併せて考えると、信心という営みの傍らにあって、世界への認識と自己への配慮が同時に展開していくことを支えるものとしての取次を考えさせられる。そうした点から、「生神金光大神差し向け」とされるような教祖の意味を考えることもできるかもしれない。

これまで、「覚帳」をはじめとする直筆資料は、それを筆記する主体である教祖を明らかにする根拠として捉えられてきた。対して岩崎発題では、資料の存在そのものの意味を掘り起こすことから教祖研究の視座を問い直す、資料論の可能性が示された。書き込みや貼り紙といった帳面との向き合いが、教祖自身における自己への認識を要請したと見るその視点は、様々な事物との関係性や環境において生きられ、展開されていくダイナミックな信心の姿を捉えていく上で、非常に重要なものと言えるだろう。
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