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青い鳥点訳グループの始まり

点訳活動の始まり

私たち青い鳥点訳グループの点訳奉仕活動は、野方幸雄氏によって始められました。

いまだ戦後の混乱がつづく昭和23年の暮に、金光教操山教会(岡山市・教会長野方幸雄氏)に点字器三面がお供えになりました。お金や食物のお供えなら、お下げして使わせて頂くこともできますが、視覚障害者の必需品である点字器では‥と、氏はその取扱についてあれこれ考えられたそうです。そして、次のことに思いいたりました。

  1. 父が入信初期において、祖父の17年間にもわたる失明生活から開眼という大きなおかげを受けている。
    視力障害者のための本を作る点訳奉仕こそ、自分が父にかわってできる“社会へのご恩返し”、祖父にかわっての“この世へのお礼”であろう。
  2. 点訳の主眼を金光教図書におき、もって自らの日々の信心生活の改まりと豊富な栄養としよう。
  3. さいわい金光教教団は、金光図書館を経営している。白分の点訳書は図書館に納めることにより全国の盲人に読んでもらえる。将来は、金光教図書の点字書は全て金光図書館にありますといわれるようにしたい。

以上のような経緯を経て、39歳の氏は勇躍、点訳奉仕に取組むことになり、近所に住む中途失明者の湯浅秀夫氏(当時29歳)から指導をうけて、ついに第一作「金光教教典」(全一巻、44ページ=原本は金光教本部教庁編)を完訳しました。昭和24年3月4日のことでした。

氏は、深い感動を胸に、『点訳・金光教教典』を手に金光教本部に参拝し、教主金光様(三代・金光摂胤氏)にその一冊を差し出し御取次を願われました。

「今年正月から教内図書を点訳させていただきたいと願って始めてまいりましたが、これが最初の点訳本の「金光教教典」でございます。金光図書館へ納めさせていただきたいと存じますが、全国20万余の盲人(原文ママ、当時よく使われた言葉)がこの本を読むことにより助かるご縁をいただかれるように、また今後も私が点訳の御用をつづけていけるようおかげをいただけますようにお願い申し上げます。」

教主金光様は、本教最初の『点訳・金光教教典』を第1ページから最終ページまで一枚一枚に祈りをこめられるように丁寧にご覧になり

「ご苦労さまです。どうか、おかげを受けてください。」

と仰せになりました。

こうして、この『金光教教典』が金光図書館に納められて点字蔵書の第一号となり、現在の点字図書18,000冊余の種となったのです。

野方氏は、後日、「この時の金光様のお言葉を神様のお頼みであると受け、この点訳奉仕は、自分の一生をかけての御用であると決心した」と語っています。自分の周囲に数々の恵まれた条件がそろっていたからです。

まず、点訳の手ほどきを受ける視覚障害者の信奉者の湯浅氏が近所から教会へ日参していたこと。点訳は自分の日々の御用の場でつづけられること。家族全員が理解し協力してくれていること(後に、夫人、長女、次女とその夫、三女、長男も順次点訳を始められました)。物資不足の折にもかかわらず点字用紙が入手できたこと(用紙がお供えされた)。父君の蔵書に点訳原本となる金光教関係図書が多くあったし、図書館や先輩諸先生が本を寄贈あるいは貸してくださること。点訳という作業が自分の性格にあっていて楽しくできることなどなど。

さて点訳を始めるといっても戦後まもない当時、そう簡単にはいきませんでした。点字器と点字用紙はあってもテキストがありませんでした。わずかに毎日新聞社発行の『点字毎日』の表紙に印刷された点字一覧表があったものの、これは触読する側から表した五十音等でしたから、覚えるには一々その逆(書く側)をということでありましたし、表記法は湯浅氏からと『点字毎日』で学んでいかれました。用紙購入は、教会から一つ山を越えた所にある岡山県立盲学校へ度々足を運んだそうです。

このようにして氏は、その後数年間をただ一人で奉仕活動をつづけ、次々に誕生した努力の結晶は金光図書館に納められ、職員の手で製本(みの表紙に紐綴じ)されて全国の本を求める多くの盲人に郵送で貸出され、その心に灯をともしていったのです。


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