第九次災害派遣活動

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■第九次災害派遣活動報告書
2011年8月3日(水)~8月8日(月)
◎全体を通して
今回は、前回の報告書に記載した内容でもあるが、被災地「夏祭り」のチラシを現地で配布することができた。宮城県では、一番最後まで孤立し、物資が届かなかった牡鹿半島。なかでも、小渕浜に唯一、1軒だけあるコンビニエンスストア(CoCoストアー)の駐車場のアスファルトには今でも「HELP!」と書かれた文字が残ったままである。被災地「夏祭り」の会場は、ちょうどその裏にある旅館(民宿「めぐろ」)の大広間と、駐車場を借りて行う予定になっている。会場となる民宿「めぐろ」のご主人は、河北新報という地元の有力な新聞社に取材を依頼しており、当日は新聞の取材も来るようである。チラシを持ってまわると、現地の方々は「夏祭り」を本当に楽しみにしてくれている。何としてでも、この「夏祭り」で被災者にひと時の安らぎを提供したい。今回の派遣では、長い間立ち入り禁止区域であった陸前高田市の集落を訪れることができた。
陸前高田市は、岩手県にあり、自衛隊がたくさん入って一気に瓦礫撤去の作業をしていたため、一般ボランティアに立ち入り禁止の規制がかかり、その分、支援物資や泥かきなどの作業も遅れていた。広田半島や小友地区は、今回初めて訪問し、新たに行政の手から外れた孤立集落を数十件、発見した。
「どこかが足りれば、どこかが欠ける」今回の訪問では、そのことを痛感した。自衛隊も8月1日をもって、完全に撤退した。もう自衛隊の姿はどこにも見られない。住民は非常に心細いであろう。陸前高田市六ヶ浦地区の、あるお宅では、その集落には3軒しか家が残っておらず、最初は避難所に居たが「家が残ったのに、なぜここに居るのか」と、元々近所に住んでいた方に言われ、水に浸かって半壊になった家に戻ってきた。しかし、それでは最低限の食事も確保出来ないため、避難所に支援物資(食料)をもらいに行っていたが、またそのときにも「家が残ったのにもらいにきたのか、家が残った人が私たちと同じと思うな、家が残ったのに・・・」と、散々言われ、人と話すのが怖くなったそうで、私たちと話をすると、久しぶりに人と普通に話ができたと、非常に喜んでもらうことができた。また、そのご婦人が、私とH隊員を見て「お二人は、体がガッチリしておられますが、ラグビーか何か、スポーツをなさっておられるのですか?」と聞かれました。私たちは顔を見合わせ「ただのデブです」と言いましたら、ご婦人はゲラゲラと笑い出し「こんなに笑ったのは震災以降初めてです」と言って喜び、最後はまた泣いておられた。「また必ず来ます!」と言ってきたので、次回も必ず訪問したい。
さらに、今回は、数箇所の仮設住宅を訪れることができた。仮設住宅は、大小さまざまであり、場所もさまざまである。街から離れているところもたくさんある。近くに買い物が出来る商店があるところ、ないところ、非常に不平等を感じる。元々の村があった場所に仮設を建てているところも多いのであるが、その元々の村には商店があり、買い物が出来たであろう。しかし、商店も全て津波に流され、買い物ひとつにしても不自由なのだから、本当にこの場所でよかったのかと、考えさせられる。大きな規模の仮設になると、イオンなどの大手スーパーが、仮設のプレハブテントで営業をしてくれている。たまたま大規模な仮設を訪れることがあったので、ついでに復興の足しにと、隊員の昼食を買ったのであるが、非常に安価に設定されていて驚き、大手スーパーの優しさに感動した。加えて、今回も初参加の隊員がおられたので、少しその感想を聞いてみた。
ある隊員は、「ほかにない活動をやっている。継続してもらいたい」と述べ、また、他の隊員は「一心に人のためを想う、誰かのためを想うこの活動は、体力的にも、精神的にも非常にきつい。時にはバカにならないと出来ないこともたくさんある。しかし、人が喜び、助かる働きがここにある。今後も大切な活動として、続けていきたい!今後も体力をつけて、また志願したいと思ってる」と述べた。
中近畿教区の先生方をはじめ、みなさまのご支援で成り立っている金光教大阪災害救援隊は、これからも、その名に恥じないような活動を展開してまいりたいと思っております。ご支援くださいます皆様には、本当にありがとうございます。

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