第二十五次災害派遣活動

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第二十五次災害派遣活動
2014年3月9日(日)~3月18日(火)

このたびは、25回目となる災害派遣に加え、「東日本大震災3年祭」が石巻で執り行われるということで、参拝、発表のご用もいただいた。
救援隊本隊は3月9日に大阪を出発し19日まで。途中で隊員が2名入れ替わり、また、白神隊長ご夫妻、安達先生(豊橋教会・安達吉浩先生)が合流、そして、最終的には大阪からの参拝団と合流するといった構成である。

9日の朝に大阪を出発したが、日曜日ということもあり、途中何度も渋滞に遭った。早く着きたいのにと思ってイライラしていたのだが、12時間ほど走って、午後7時頃であったと思うが、宮城県に入って雪が降ってきた。今後、石巻まで大雪が降るとの情報で、大雪の前に、春日S.A.で休憩をとることにした。
トイレに行こうと車を降りて歩いていると、ご婦人が前を横切るのが目に入った。そのご婦人は、一瞬首をかしげながら、こちらを向かれたのだが、その瞬間、お互いに「あーっ!!」と叫びながら走り寄ってハイタッチをした。なんと、石巻市小渕浜にある、割烹民宿「めぐろ」の女将さんであった。愛知県のボランティアから震災3年ということで招待を受けた帰りに、ご一行で夕食を食べたとのことであり、「めぐろ」の大将は、そこで牛丼を注文して食べ、「竹内さんたち、どうしてっかな。元気かな。あの炊き出しの焼肉丼、嬉しかったな。などとみんなで言い、思い出してたら、牛丼を食べながら涙が出てきたんだよ」と、またも涙ぐみながら話された。

偶然にも会えて、しかも、私たちのことを思い出してくださっていたとは、本当に不思議なことであった。
無事に石巻に到着したのだが、今回の宿泊、報告書には「Bさんのお宅」という書き方をしているが、石巻市で美容室を営むBさん宅のことで、震災から約1年後に知り合い、自らも被災されながらもボランティアを行い、私たちの拠点であった仙台のアパートを引き払う際、「ボランティアに協力したいので、もしよければ、私の家を使ってください」との申し出をいただいており、そちらを使わせていただいた。この方との出会いもまた、被災者の方からの紹介であった。

さて活動では、まず被災地の孤立集落訪問(宮城県・岩手県)を行った。
朝から日が暮れるまで、孤立したお宅を訪ねてまわった。私たちが今回まわれたお宅は約120軒であった。
孤立集落訪問で、とりわけ印象が深かったのは、岩手県田老町を訪問した際に訪れた「H商店」でのことであった。

田老町は、日本一のスーパー防潮堤があったことで有名な地域だが、一瞬にして全てを飲み込んだ大津波の前には、そのスーパー防潮堤も諸刃の剣であった。
堤防の内側にあった町がなくなり、近所で買い物ができるところすらなくなった。

H商店の店主(おばあちゃん)は、震災が起こった直後、「ボケてしまって、過去のことや、使っていた茶碗の色すら思い出せない」と言い、それでも頑張って、1階部分が流された店の再建に努め、私たちも、炊き出し用の机を陳列棚にお使いくださいと言って持って行った。
今回、そのおばあちゃんは、「タクシーに乗って買い物に来るお婆さんのことを考えると、そのときに品切れでガッカリさせるわけにはいかない。だから、赤字が出ても、売れなくて売れ残っても、それでも仕入れて、品揃えを良くします。人件費や経費を払ったら、何も残りませんが、あなた方のようなボランティアの方に助けてもらったので、その何百分の一ですが、ボランティアだと思ってやっています」と言った。
地域の方が、「H商店があるから助かっている」というほど、地域に貢献したお店である。3年経っても近所には一軒のお店も再建出来ず、この地域にたった一軒だけの「H商店」。一つずつ棚や冷蔵庫、冷凍庫などが揃い、おばあちゃんは頑張っている。苦しい中にも、非常に立派な姿だと思う。

宮城県・岩手県の私たちが訪問しているだいたいの地域では、高台移転の話は進んでおり、着工しているところも多く見受けられる。
ただし、地域住民と行政がうまく合意を得ないまま話が進んだり、不満を持ったまま進められているといった現状がある。少しでも状況が良くなっていくことを祈るばかりである。

3月11日は、地域の学校が休みであったり、浜の仕事が休みであったりした。私たちは、小渕浜の同じ場所で、3年目、3回目のご祈念を行った。
小渕浜では、他所の地域と比べると、ワカメの収穫はさほど悪くないようだが、それでも今年は浜値が低いと、どこの網元を訪ねてもガッカリされていた。
だいたいのワカメは、仲買業者が3年間、倉庫で保管し、3年前の物から出荷していくそうで(価格の変動を出来るだけ抑えるため)、業者は在庫があるために困らないが、網元は豊漁の翌年は買い叩かれたりすることがあるので困るという話も聞いた。

「東日本大震災3年祭」は、石巻市中央公民館で行われ、15分間の発表を依頼されていた。私は、15分間でこの3年間のことを語りつくすことは不可能なので、支援をしてくださり、お世話になった方々のことを、一言ずつであるが、お礼を言う場とさせていただいた。内容については割愛する。
福島県においては、目に見えない放射能問題との対峙とあって、なかなか言葉にも表すことができないのであるが、福島県の先生方は、本当に私たちのことを大切にしてくださり、様々な情報やご教導をくださった。

なかでも、福島教会の金光榮雄先生は、様々な組織や団体のボランティアは長くても5年・10年で終わることが多いが、本当の福島県の原発・放射能の問題はこれからで、廃炉までに40年、完全に元の福島県に戻るまでに10万年かかると仰り、育ち行く者のことを非常にご心配なさっておられ、言葉の端々にそのことが痛いほどに伝わった。

会津野伏教会の生沼先生は、私たち隊員のことをいつもいつもご祈念くださり、顔や名前さえも覚えてくださり、また、若手の隊員には、「世界を股に翔るくらいのつもりで頑張りなさい!」とご教導くださった。

岩代郡山教会を訪問の際、「先生、今回は、これこれこういうおかげをいただきました」と申しましたら、橋長先生は、「それはよかったけれど、あなたは、もし、それがダメであったときも、おかげだと思えるようになったら、100点です」と仰ってくださいました。 これは、「取次者の群像」のお話の中、若しくは橋長先生のお話のなかで、先生が一方ならぬご苦労なさったことの裏づけがあってのご教導であるとすぐに分かり、ありがたく頂戴させていただくことができた。

だんだんと、被災地を訪れても私たちが何かをするよりも、私たちが何かを得ることばかりになってきた現状があるが、今後も、出来る限りの精一杯を被災地に奉げたいと思います。

簡単でありますが、以上、第25次災害派遣の報告とさせていただきます。
教区の先生方はじめ、信奉者の皆様には、いつもいつも、ご祈念、お祈り添え、温かいご支援の数々や、励ましのお言葉を頂戴し、本当にありがとうございます。

おかげをいただき、一度の事故や怪我もなく、東日本大震災より3年間、支援を続けさせていただくことができました。
今後とも、被災された方々への継続的な支援を行いたいと思っておりますので、お力添えを賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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