平成30年7月豪雨災害 第4次派遣(2018/10/12~13)

平成30年7月豪雨災害 第4次派遣(2018/10/12~13)

○全体をとおして

 日本列島を直撃する台風の影響で、何度も「炊き出し」を中止・延期してきたが、ようやく目処が立ち、10月13日に「炊き出し」が決まった。

 前々から報告してきているように、避難所では朝昼兼用でパン一つとおにぎり二つ、夕食はコンビニ弁当が一つ配給される。その配給は本当にありがたいが、やはり同じものを食べ続けるとどうしても飽きてきて食べにくくなってくる。そんなときに、私たちが「炊き出し」を行い、暖かいものを提供すると非常に喜ばれる。
そして喜んでくださった被災者の方との関係性が出来てきて、心の内を話してくださるようになる。それが傾聴活動だと我々救援隊員は捉えている。
ちょうど時期的に、前回の報告書に記載したように、やっと仮設住宅が出来始めて、避難所から仮設住宅に移る時であるが、ここから、被災者の方々は、家がなくなった状態から新しい生活を始めるのである。
調理器具はもちろんのこと、食器もない生活が始まるのである。水害で浸水した家から調理器具や食器を回収したとしても、どうしても一度、汚水も混じった水に浸かったものだから、そうとう綺麗に洗浄して消毒して再利用するか、あきらめて捨てるかの選択を余儀なくされる。見てきた大半は後者の方であった。
だから、仮設住宅に移っても、何もないところからのスタートである。

 今回は、「RUN伴」というボランティアチームがイベントを行い、そこに倉敷市社会福祉協議会、倉敷市災害ボランティアセンターが「炊き出し」協力団体を探し、金光教大阪災害救援隊に依頼する形となっている。
前回にも記載しているように、行政から依頼が来るということは、金光教大阪災害救援隊もだんだんと認知され、信頼されているなかでのことと思う。保健所に申請を出すときも、「申請の書類も結構ですので、どうぞよろしくお願いします」と感謝の気持ちを伝えられている。
今回「炊き出し」を行うなかで、場所の提供をしてくださった「水川歯科医院」は、被災して一階部分が浸水し、患者のカルテなども水没した。我々が「炊き出し」を行う近くでは、そのカルテを従業員の方々と一枚一枚丁寧に拭き取って整理されていた。
災害から3か月経ち、10月29日にやっと元のように歯科医院を再開されるとのことで、院長の水川先生は「これを機にカルテをデジタル化します」とおっしゃり、我々に場所や水を提供くださり、私たちが撤収の際にはお手伝いくださって、最後にはゴミの処理までも買ってでてくださった。本当にありがたかった。

 「炊き出し」が一段落すると、稲場先生と申し合わせて、近くの仮設住宅に出前に行った。近所には、今後私たちが支援に入ろうと考えている、「市場仮設団地」と「総合公園仮設団地」があり、約80食を持って訪問した。
仮設住宅への入居はまだ全世帯が完了しておらず、私の感触では30%~40%の入居率であった。理由は、上記のように、仮設住宅に移ればほとんど支援がなくなり、たちまち調理なども行わねばならないが、食器も調達出来ていないのに生活が出来ないということも一つの要因であると考えられる。

 私たちは一軒一軒、話を聞きながら弁当(やきそば)を持ってまわったが、どこのお宅でも非常に喜ばれた。本当のことを言えば、初めて訪れる場所で初対面の我々がいきなり訪ねて行って「炊き出しを作ったのでいただいてもらえますか?」と言うのを、怪しいとも思わず喜んでくださるということも普通の状態では考えにくいが、「ごはんをどうしようかと思っていたから助かりました」と言ってくださる方もなかにはおられたり、やっと仮設住宅に入居することが出来たと喜んで、私たちにそこまでの顛末を話される方もあった。

 「市場仮設団地」のKさんは、真備町にある通称「タケノコ橋」(宮田橋)の近くに住んでいたが、気づいたときには小田川が決壊して家の二階部分まで水に浸かった。逃げる術を失い、二階にあがって一番高いベッドにあがったが水は腹部まで押し寄せた。もうダメだと思ったが、水嵩はそれ以上増すことはなく、そこで水に浸かったまま一夜を過ごした。次の日に自衛隊のヘリコプターが発見してくれて、二階の窓からなんとか手を振って助けられた。自衛隊員は熊本の方で「絶対に助けるから!」と言ってくれた言葉を忘れられない。救助されたときには、手足がふやけて真っ白になっていた。裸足だったので、自衛隊の方が負ぶってくれたと語る。その後、病院に入院したり、みんながいる避難所に行きたかったり、施設にあずけられたり、転々としたが、なんとか数日前にこの仮設団地に入居することができたと教えてくれた。
「炊き出し」の出前に喜ばれて、初対面の私にここまで話してくださった。

 出前をしているうちに、すぐに辺りは暗くなったが、私にはその光景が懐かしく思えた。それは、東北の被災地で「炊き出し」を行った際、自宅避難している方々に、よく出前をした。調理が済んでから行くので、決まって真っ暗であった。真っ暗ななか、私のような人物が訪ねてくるのだから、きっと相手の方も最初は構えたに違いないが、今では笑い話になった。そのことを思い出して、このたびは懐かしく思えた。
しかし、この仮設住宅にお住いの方々はこれからたくさんの苦労を強いられる。寒い冬が来て、暑い夏が来て、交通の不便、買い物の不便、その他諸々の苦労がある。

 そういう方々がなかにはおられる。ということではなくて、こんな方ばかりが仮設住宅にいるのだから、私たちはなんとか少しでも、この方々の心が安らぐような働きをしていきたい。東北でも熊本でもしてきたように、これからも頑張って続けていきたいと思う。
 以上、「平成30年7月豪雨」における第四次災害派遣の報告とさせていただきます。
 教区の先生方をはじめ、信奉者のみなさまには、いつも暖かいお言葉や、たくさんのご支援をいただき、ありがとうございます。これからも頑張って被災された方々のお役に立ってまいりたいと存じますので、今後とも、ご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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