熊本地震第21次派遣、九州北部豪雨第7次派遣(2018/4/16~20)

熊本地震第21次派遣、九州北部豪雨第7次派遣(2018/4/16~20)

○全体をとおして

 前回の報告書にも記載したように、新たに新築をなさって少しづつ仮設住宅から出ていかれる方が増えてきている。現在3割の方が仮設住宅を出られている(益城町安永仮設団地)が、仮設住宅を出ていかれる方と仮設住宅を出る目途がついていない方との格差が生まれる時期でもある。
 救援隊の役割として、ここまでは仮設住宅内でのコミュニティー作りや傾聴活動ということを担ってきた。
このたびは、早々に仮設住宅を出ていく方と、出る目途がつかない方が再びギクシャクすることを避けるという目的において仮設住宅集会所での夕食会を開くことにした。これまでは、阪大生が卒業するなど、必要がない限りそういうことは行ってこなかったが、その仮設住宅内の状況を鑑みて今回からお食事会を行うこととなった。

 我々の「炊き出し」のスタッフとして参加くださる方はもとより、参加したい人は誰でも気軽に加わることが出来るようにしたため、大人数での食事会になったが、それが非常によくて、仮設住民の方々の悩みやストレス解消のはけ口となることが出来た。
そのなかで、みんなが順番に話し始める内容は、やはりちょうど震災から2年の時期でもあり、自分たちがこの仮設住宅に居ることの原因となった「熊本地震」のことであった。

 2年前のこの日には、自分たちは、益城町総合体育館に避難していて、みんなで涙を流しながら、今後どうしていいのかわからなかったことや、食事にありつけたときに、食べることのありがたさを改めてわかったこと、塩おにぎり一個もらうために一時間並んだことや、おにぎりをもらえて嬉しかったことなどを口々に話された。
 そのなかでも、これは東北の被災地でもよく言われたことで、つまり、被災地ではどこでも共通のこととなるのだが、ある方が「災害が起こった直後に絶対に自分が必要だったものが2つあります。それが何かわかりますか?」と私たちに問いかけられます。
私は答えがわかりましたが、経験の浅い隊員は答えられなかった。
その答えは、「食事とトイレ」の二つになり、どこの被災地でも実際に経験した方々がハッキリと言われている。
そんなことわかっている。と言われるかも知れないが、今、この場で被災したと考えてみると、外出先にいれば家の物は何も取りに帰れない。もちろん、電車などの交通機関をはじめ、電気・ガス・水道などのインフラは完全には止まっている。コンビニもファミレスもスーパーも何もかも機能していない。

 さて、私たちに何が出来るか。時間が経つにつれ、お腹は空いてくる。必ずトイレにもいきたくなる。食事はどうしますか?トイレはどうしますか?ということだが、実際には家に居ても同じことが言える。
電気・ガス・水道が止まり、夏場だと冷蔵庫の中のものは一瞬で腐る。腐るまでに食べようとしてもガスが止まっているので調理すらできない。まさか肉を生でかじるわけにもいかない。水が流れないのでトイレにも限界がある。外の店はもちろん、今言った状況で、どこも閉店している。そういう状況になるということである。
 そういう話をしながら、熊本の仮設住宅で夜遅くまで話すことが出来て、みなさんからは「こういう機会がめったにないので、本当に良かったです。自分たちでも色々と持ち寄りますので、またこういう機会を作ってほしいです」と願われた。

 また、仮設住宅に移れたときには、非常に嬉しかったこと、それぞれが思い出してはしんみりとされ、いま、こうして落ち着いていられることは、私たちの活動があってこそだと、感謝の言葉を述べられた。この夜の集いは今後も続けたいと思う。

 「光キッチン」も順調で、仮設を出られた方も懐かしい顔を見るためにみなさん訪れてくださっている。
次回は8月の訪問を予定している。
このたびも、教区の先生方をはじめ、全教信奉者のみなさんにご支援をいただき、無事に活動を終えさせていただくことが出来ております。
今後とも、力を尽くしてまいりたいと思っておりますので、ご支援、ご協力、どうぞよろしくお願い申し上げます。

追記

 なお、自費での活動になるが、6月11日から14日までの行程にて熊本に行かせていただいた。それは、いつも我々の救援活動に仕事を休んで参加してくださるK氏の家が半壊して引っ越しをなさったが、その引っ越した先の家も、その後に発生した余震によって半壊し、さらなる引っ越しを余儀なくされたため、有志を募ってお手伝いをさせていただき、それに加えて仮設住宅への訪問、保育園でのイベントも行うことが出来ている。仮設住宅でも保育園でも、非常に私たちの訪問を喜んでくださり、次回8月の訪問を楽しみにされている。

追記2

 さらに、大阪府北部で6月18日に発生した「大阪北部地震」についても、大阪大学大学院のチームと連携し、金光教大阪災害救援隊として19日に先遣隊を派遣して状況の把握をしている。インフラはやはり断水、ガスの供給停止、停電といったものであったが、比較的早い復旧で我々が駆けつけたときには水道が濁っており、家の屋根が飛んだり一部損壊の方々が避難所におられた。(今後の豪雨の心配で避難所におられる方も多数であった)

 しかし、隊長とも話すなかで、やはり今回の被害を受けてお亡くなりになられた方々は、天災というよりも人災に近いということになると思う。それは、建築基準に満たないものの崩壊で被害に遭ったり、「家具の固定」「家具の固定」と言われ続けていたにもかかわらずそれを怠った結果のことでもあると思うからである。

 今回の震災は非常にイレギュラーであり、どの断層が動いたのか、学術的にもしばらくは解明されない部類に入る震災になると思うが、この地区で起こった直下型地震では過去最大の規模と言われている。

 ここで、救援隊として、警鐘を鳴らしたい内容がある。
それは、この大阪での震災を経験して、自身はどうであったかということ。
 一瞬にして、市内のスーパーやホームセンターからも飲料水が消えて無くなった経験をされた方もあると思う。実際に私も様子を見に行ったら、その状況で、街では、行くにも進めず、戻るにも戻れずといった方々が右往左往されていた。鉄道からは締め出され、千日前道路には10メーターおきにタクシーに手を挙げる方が居たが拾えるはずもなかった。帰宅困難者が多くあり、歩いて帰る方々も多く見られた。
救援隊としては、今後、「防災に関する研修会」を行い、「東南海・南海トラフ巨大地震」も視野に入れた災害について学び、防災・減災に取り組んでいきたいと考えているが、その災害がいつ起こるとも限らないので、ここで少しだけその心得を披瀝する。

 例えば、震災が発生した場合、どうすればいいのか。

いくつかポイントを記すので、参考にしていただきたい。しかし、これはほんの一例となるので、みなさんの手元でアレンジを加えていただいてより良いものにしてもらいたい。

まず、地震が起こったら、

発生から2分間は、自分の命を守る時間だと思うこと。

テーブルの下にもぐったり、落下物から頭を守ったり、固定していない家具から離れたり、調理中であれば火を消せたら消す。消せなかったら、すみやかにその場を離れる。といったことが大切になってくる。油が飛んで来たり、鍋がひっくり返ったら大けがをする。
その次、揺れがおさまったら、すみやかに火の始末をすること。
もしもそのときに、出火していたら、火が小さいうちに消火をすること。その際は、必ず消火器で消火をする。余震に備えてドアを開けること(歪んでドアが開かなくなったりするため)。食器棚が倒れたりしてガラス片が飛び散っていたりしたら、躊躇なく靴を履くこと(足を大けがするため)。

そしてその次は、家族の安全確認、家の被害状況を点検して、崩れそうだったり、余震で被害拡大の恐れがある場合は避難の準備をする。沿岸部では、津波に備えてすぐに高台に避難をする。このとき、出来ればラジオなどで正確な情報を聞くようにする。災害の直後は、よくデマが流れる(例えば、動物園のおりから虎やライオンが逃げ出した。などなど)が、そういうことを信用せずに、正確な情報をラジオなどから聞くようにする。

 ここまでで、だいたい10分くらいで出来るように、訓練をしておくことが大切となる。
その他、たくさんの重要な項目があるが、いろんな意味合いにおいても、自分の身は自分で守ることを基本として訓練をしていただければと思う。

 また、ここから先は、現在準備中の救援隊「防災に関する研修会」に参加して身につけるようにしていただければと思う。
余談になるが、「大阪北部地震」発生直後より、私の携帯電話に東北の方々、熊本の方々からの心配の電話やメール連絡をいただき、それは一日中、途絶えることがなかった。ここまでご心配をいただいて、本当にありがたく思う。

以上、「熊本地震」第21次、九州豪雨第7次災害派遣における報告ならびに、熊本訪問、大阪北部地震における活動の報告とさせていただきます。

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