東北派遣第33次派遣(2018/3/9~15)

東北派遣第33次派遣(2018/3/9~15)

○全体をとおして

 あの恐怖の日、2万名近くの方が犠牲になった東日本大震災から早7年が経った。

 最近では現地の情報も少なく、ともすれば、東日本大震災が遠い過去のこととなり、忘れ去られた感もある。3月11日の三日前くらいになるとようやくメディアでも取り上げられる。実際、私たちも「まだやってるのか」と言われることもしばしばある。
 しかし、まだ何も終わっていないという事実は現地に行かなければわからないことでもある。だからこそ、この報告書をお読みいただき、現地の状況をお分かりいただきたい。

 あの日以来、大震災が未だ爪痕を残し、辛い思いをしている方がたくさんあるということを少しでもご理解いただきたいと思う。
さて、メディアでも取り上げられることが少なくなったが、この7年目の3月11日には、仙台市内をはじめとする現地各所の葬儀場では慰霊祭が執り行われ、たくさんの献花台が設けられていた。

 よく知る被災者の方が、7年経ってはじめて話せることがあると私に言ったことがある。ひとつは、実は7年前の3月11日に娘を亡くしたこと。もうひとつは、もうすぐ安全な高台に引っ越すということだった。娘さんが亡くなっていたことも、高台だから助かったと思っていた家が実は全壊の家屋であったことも始めて知った。やはりこの方たちは、ものすごいものを心の中に抱えているんだと改めて思った。7年経っても、この方々のなかでは、何も終わったわけではない。

 また同地区で、救援隊が夏祭りを行ったあとに、どこの誰とも名乗らずにアナゴをくださった漁師の女将さん(私たちも決して名乗らず、ただ、大阪からのボランティアですと言って訪問していたため、同じように名前を伏せてくださった)と話すなかで、実は7年前の今日、迫りくる津波の地獄から走って逃げる時に、道にはご遺体がたくさんあって、踏んでしまった。という衝撃的な話をなさったあとに、「そのあとに、竹内君、来てくれて、、、、」と、初めて出会った時のことから覚えていて話してくださったが、私は今まで一度も名乗ったことがなかったのに、どこかで調べて、この日に初めて私のことを名前で呼んでくれたことが、私自身、7年の月日を感じ感慨深いものがあった。
この小渕浜にあった仮設住宅4か所は、5月に全員退去することとなっている。
 新しく家を建てて出られる方や、復興住宅、集合住宅がいよいよ完成して移られるのである。集合住宅に移った方には、その家のなかを見せていただいた。親切に風呂場やお手洗いまでも見せていただき、この地区に住むことの期待や不安もうかがった。

 この地区の集合住宅は、マンションのタイプではなく、平屋の一戸建てで、大きさはほとんど変わらないが、建築時に1LDKから仕切りを多くして2DK、3DKまでを選ぶことが出来たりバリアフリーであったりと、非常に入居者のことを考えてくれている。また、収入に応じて家賃が決まるシステムであったり、行政も非常によく考えてくださっており、住みやすそうで良かったと思う。

 その一方で、これまで仮設住宅に7年近く住んできて、コミュニティーが出来上がってきたものを再度リセットすることになる。
これまで壁の薄さや近隣との距離の近さでストレスを感じてこられた方々のなかには、復興住宅に入るや、雨戸を締め切ったまま近所づきあいがなくなる方もあって非常に辛いと聞いた。

 そういう状況を見せられ、聞かされると、またこの場で私たちがこれまでにしてきたように「炊き出し」などのイベントを行って、コミュニティー形成の一助を担うということを考えるべき時にきているのではないかと思う。ぜひとも財的なおかげをいただいて、なんとか実現出来るようにしたい。

 そして、このたびの訪問では、復興住宅に移ることが出来てきたということ以外には、あまり良い知らせもなかった。
 南三陸町志津川のタコ漁師の話は何度も報告書に記載してきている。震災以降、肺がんを患い余命宣告の日から一年以上も頑張って生きた方で、次はこの3月に再会することを約束していた。このたび訪問すると、奥さんが畑仕事をなさっていたので、非常に嫌な予感がした。奥さんがご主人から離れた姿を見たことがなかったからである。
 奥さんは私たちに気づくと、もう涙が止まることはなく、前回からのことを話してくださった。前回、私たちが訪問した直後に「どうしても漁に出たい」と言って体調が優れないなかではあったが無理を押してタコ漁に出た。すると、これまでの漁師人生で一番の大漁となり、喜んで帰ってきたということであった。
 しかし、そこから体調が回復することはなく1月14日にお亡くなりになった。68歳とのことであった。
「震災以降、たくさん励ましてくださり、本当にありがとうございました」と丁寧にお礼を言われた。獲れたてのタコをいただいたり、冗談を言って笑いながら縁側で一緒にスイカを食べたりしたことを思い出しながら仏前に手を合わせた。最後の漁が人生最大の大漁で本当によかった。またそこに神様のお働きを感じることが出来た。

 今年は全体的に不漁であったと聞く。訪問先のひとつである女川町も今年は不漁で、銀鮭・秋刀魚・シラスといった女川を代表するものも全てダメで、震災以降、復興に向けて港に建設した倉庫などの借金が払えないという事態に陥っている。
 漁というものは自然を相手にするもので、見込めないことも多いと思うが、なんとか少しづつでも立ち直っていってもらいたいと願い、祈念したいと思う。

 以上、簡単ではありますが「東日本大震災」における第33次災害派遣の報告とさせていただきます。
教区の先生方をはじめ、全教信奉者のみなさまには、いつも暖かい励ましのお言葉やたくさんのご支援、お祈り添えをいただき、このたびも事故や怪我なく活動を終えさせていただくことができました。ありがとうございました。
このうえとも、お祈り添えを賜りますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

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