第十七次災害派遣活動

  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣
  • 第17次派遣
    第17次派遣

■第十七次災害派遣活動報告書
2012年3月8日(木)~3月18日(日)
◎全体を通して
 平成23年3月11日より、丸一年が経った。一年という月日が経った被災地は、一旦、瓦喋は隅っこの集積地に寄せてはあるものの、重機の音が鳴り響き、混沌としている状況に変わりはない。被災地でも我々の個別訪問や炊き出しが根付いてきており、人間関係も深いものとなってきた。そして、今回は被災地で、本教教師としての本分を果たすことになる。前回、2月に被災地を訪れ、炊き出しを行なっているときに、夏祭りのパンフレットにも記載しているSさん親子が炊き出しに並んでくれており、私に一言「御祓いをできませんか?」と言われた。私は思わず「ここに居るのはみんな教師ですから、誰でもできますよ。どうかしましたか?」と尋ねると「娘に御霊様が憑いているみたいなんです」と言われ、「とにかくあとで聞きますから」と、炊き出しが忙しかったのでバタバタしており、うやむやになってしまいましたが、大阪に帰ってから、思い返してみると、やはり、このような依頼が来るのが一年間通い続けた我々の成果であり、宗教者としての最たるところの働きであると思わせていただき、本隊と相談のうえ、御霊祭りをさせていただくことになった。
 天地書附、祭詞、玉串、大麻、装束などを持参し、何のアポイントもなく3月9日にSさんのお宅を訪ねた。お母さんは作業場の片付けをしていたが、私たちの顔を見ると、喜んでくださった。そこで、「前回、Aさんの体調も悪いとお聞きしましたが、私たち、準備をしてきましたので、御霊様のお祭りをしましょうか?」と言いましたら、「本当にですか?お願いします!」と言って喜ばれた。
 実は、小渕浜は震災以降、しばらくの間、道が寸断され、孤立状態になった。自衛隊員はヘリで入ったが、生きている人が優先とのことで、亡くなった方はしばらくほっておかれるような状況であり、それに耐えかねた小渕浜の住民は、自分たちでご遺体の捜索、安置を行なわれたそうであった。その際、ここのS家は、ご遺体を安置するために家の1階部分の場所を提供しており、そんなこともあってか、Sさんたちは非常に気にしておられた。祭典は、天地書附を掲げ、祭主、祓い主・先唱役を私竹内が、典礼・後取、賛者を鈴木隊員が仕え、補助賛者に菱田(正)隊員、記録係を菱田(美)隊員が行なった。次第は拝礼、神前拝詞から始まり、祭主祭詞奏上、祭主玉串奉興、天地書附奉体、参拝者玉串奉糞、大麻行事、祖先賛詞、祭主挨拶、拝礼という次第で執り行った。祭典中は、大麻を持って被災してグチャグチャになった家の中を祓ってまわり、全ての部屋に加えて、物置小屋や井戸にいたるまで、真心をこめて大麻を振った。
 祭典を終えるとSさんのご家族は、見違えるほど顔色が良くなり、「なんだかスッキリしました。部屋の中が明るくなりました。本当にお祭りの前とは全く違います!いままでは、ご遺体を安置していた場所を直視できなかったけど、今は見ていても嫌な感じがしない。震災以前の家に戻りました!」と、笑顔に変わり、非常に喜ばれ、その2日後に行なった炊き出しにも笑顔で参加され、私の顔を見るなり「握手!」と言って手を握られるようなことであった。
 このことについて、私たちが、こちらから、「御霊様のお祭りをしましょうか?」と言って行ったのではなく、被災者である、Sさんのほうから突然にご依頼をいただいたということは、本当に我々救援隊を信じて頼りにされているということ、一年という月日をかけて、その信頼関係が構築されたことなど、これは金光教大阪災害救援隊の成果でもあったかと思う。そして、祭典を仕え、一瞬にして、人が助かる瞬間を目の当たりにし、やはり天地金乃神様のお働きは壮絶なものであると思わせられ、ご用の大切さを改めて実感させられた。さて、このたびの災害派遣では、震災・津波が起こってから3月11日で丸一年を迎えた。この日、救援隊は小渕浜での炊き出しを行なった。今回の炊き出しは、小渕浜に被災者の親戚が集まってもワイワイと食べられるように、お弁当を作った。内容は、烏の唐揚げ、焼肉、ウインナー、スパゲッティ、白菜のおひたし、塩昆布などで、ご飯との豪華2段の弁当にした。並んでいる被災者の行列は、1時間半も途絶えることがなく続き、400食用意した弁当も売り切れ、後から来た人は、おかずが足りなくて、唐揚げ弁当になったり、焼肉井になったりするほどであった。並んでくれた被災者の方たちは、久しぶりに会う村の方たちと「久しぶりー!元気だった?」「炊き出しをしてもらって、みんなが集まれるから良かった!」などと口々に話し、私たちにもニコニコと感謝の言葉を述べられた。そんななか、一番喜ばれたのが、前回炊き出しで提供した「焼肉井」のことであった。被災者からは「あんなに美味しい食事、始めて食べたわ!」「今までに色んなボランティアの方が炊き出しをしてくださったけれど、ダントツで一番よ!」などと言ってくださった。阪神淡路大震災のときに、曹洞宗のシャンティーというボランティア団体が、のべ31万食の炊き出しを行い、「炊き出しの曹洞宗!」とまで言われたことを思い出した。私たちは、あと何回出来るかわからないが、それならば「焼肉井の金光教!」と言っていただけるよう頑張りたいと思う。
 孤立集落訪問では、岩手県大槌町安渡地区に訪問の際、いつもは喜んで迎えてくださるお宅の鍵が閉まっていたので、お留守かと思ったのだが、何度か呼びかけてみると、中から「どちら様ですか?」と小さな声が聞こえた。私たちが「大阪からのボランティアです!」と言うと、その家のお母さんは、慌てて鍵を開けてくれ、訪問を喜んでくれたのであるが、やはり違和感が残るので「どうしていつもかけない鍵をかけていたの?」と聞いてみると、非常にショックな答えが返ってくるのであった。
 「実は、ここの家は借家なのですが、家の大家さんが、海の近くに住んでいた。津波で家を流されて今は仮設住宅に入っている。それで、仮設住宅は嫌なので、この家に戻りたいから、出て行って欲しいと言われたんです」と言って、周りの津波で流されて更地になった場所を指差し「引っ越す場所があったら引っ越します!でも、どこへ引っ越したらいいんでしょうか」と言って、大泣きされるということがあった。私たちは、事情がわからないので何とも言い難かったのだが「住んでいる人を追い出すということは、法律が許していないと思いますよ。おそらく、役場に行かれたら、無料の法律相談なんかもありますから、一度行かれてはどうでしょうか」と言って、泣き崩れるお母さんにしばらく寄り添い、ただただ、この方の立ち行きを神様にお願いすることしか出来なかった。
 私たちが回れている限られた範囲のなかでも、このように不条理なことが起こっているのである。一年経ったと言っても、一年という時間がただ過ぎたというだけに過ぎず、何かが解決したということではないと、改めて思う。そんななか、明るいこともある。
 今回は、大阪教会長、西川大阪センター所長、岩本大阪センター次長が活動に参加してくださり、被災地の孤立集落の傾聴活動をおこなった。被災地を踏み、被災者と話すことで「これは、まだまだ先が見えないな」「今回の炊き出しは終わったのか」「被災者の方が焼肉井が好きと言っておられるから、次回は私が肉を用意しましょう」「ならば、私が米を用意しましょう」などと、被災地の現状と課題点を即座に理解され、5月にはまた、災害派遣隊として現地に赴き、炊き出しなどのボランティアにあたってくださるという約束もいただいた。その場で、その話しを聞いた被災者からは喜びの声が聞かれた。また、大川小学校、南三陸町志津川地区防災庁舎、志津川病院などで、花を手向けてご祈念をくださった。私たち救援隊員も、震災発生から、常に生きている人優先でご用を進めてきたため、一年という節目の時期に、御霊様のことを想い、後ろからご祈念させていただけたことに喜びを感じることができた。
17日には、金光教東日本大震災慰霊復興祈願祭実行委員会の主催で気仙沼プラザホテルを会場に「金光教東日本大震災一年祭」が執り行われ、救援隊を代表して参拝のおかげを蒙った。祭典は、金光教気仙沼教会長であられる奥原志郎先生が祭主をお仕えになり、祭員10名、奏楽7名で執行され、参拝者には、教務総長代理、教団会正副議長、東京センター・大阪センター・信越教務センター・西近畿教務センター・北九州教務センター・放送センターの各所長、次長、平和活動センター理事長、首都圏フォーラム、中近畿教区を代表して大阪教会長、東北教区教会連合会、学生OB会、ボランティア団体代表(大阪災害救援隊・首都圏フォーラム支援機構・少年少女連合本部・みちのくボランティア隊)、学校法人「関西金光学園」などの代表者をはじめ、450名もの参拝者で盛大に執り行われた。祭典に用いられた「東北復興祈願詞」や、祭詞にも、たびたび、「わが力で何事もやり」の生き方を改めます。「人が人を助けるのが人間」との御心に沿って祈りあい、助け合いながら・・・という言葉が使われていたのであるが、非常に心に響いた。その後の、金光藤蔭の和太鼓、金光藤蔭・金光大阪の吹奏楽も非常に迫力のあるもので、和太鼓の演奏中には、天井から電球が4つも落ちてくるほどのものであり、私自身のこれからの活動意欲にも刺激を与えてくれるものであった。被災地では、昨年11月に種付け作業を行なったワカメが、今、最盛期を迎え、浜が活気付いている。昨年、収穫を間近に控えた時期に被災し、家や家族を失い、無収入であった被災者たちが、今、苦難を乗り越えて、立ち上がろうとしている。その被災者を支えに、今後も災害救援活動に全力を注ぎたいと思う。以上、簡単ではありますが、第17次災害派遣の報告といたします。中近畿教区の先生方をはじめ、信奉者の皆様には、いつもお祈り添えを賜わり、暖かい励ましのお言葉や、数多のご支援をいただき、この度も事故や怪我もなく、無事に活動を終えさせていただくことができました。ありがとうございました。

You may also like...