第十次災害派遣活動

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■第十次災害派遣活動報告書
2011年8月22日(月)~9月4日(日)
◎全体を通して
前回に続き、今回も被災地「夏祭り」のチラシを小淵浜で配布した。すると、「29日でしょ!あー、このチラシね。夏祭りでしよ!行くよ!」などと、みなさんとても夏祭りを楽しみにしておられた。被災地「夏祭り」の話をすると、みなさん笑顔になっておられていたのがとても印象的だった。ほんの少しの間だけでも、被災者の方に安らぎと楽しさを与えられれば、という思いをより一層強くした。
27日に「夏祭り」の準備、機材の搬入で「民宿めぐろ」を訪れた。私たちの車のポスターを見て「民宿めぐろ」に来ていたボランティアの人に「昨日、仙台にいませんでしたか?この車のポスターを、昨日友人が仙台で見つけて、携帯電話の写メールで送ってきたのですよ」と教えてくれた。そのボランティアの人も、夏祭りのことを周りの方に声をかけていてくれ、たくさんの人が楽しみにしていると教えてくれた。この「夏祭り」のチラシやポスターについては、他のボランティア団体が、自分たちのホームページに掲載して、宣伝をしてくれていたりもした。また、この日は、「めぐろ」に船が届き、進水式を済ませたばかりであった。船の搬送をした、愛知のボランティアの方が250人で船のお出迎えを祝ってくれたと、大将もとても喜んでいた。
8月29日、当日は、スタッフ46名にて、屋台(飲食12軒、ゲームコーナー3軒、無料バザー1軒)、桂かい枝さんをはじめとする芸人3名による落語などの催し、スタッフによる出し物、会場を提供してくださった「めぐろ」の大将による歌など、被災地で盛大に夏祭りを行うことができた。なんと来場者は300人を超えるものになった。この夏祭りは、東日本大震災以降、金光教大阪災害救援隊の隊員一同が、ずっと行いたかったことの一つであったため、準備の段階から、本当に気合の入ったものになった。仮設住宅に移って、さぞかし物のない不自由な暮らしを強いられていたのであろう。無料バザーの品物は一瞬で姿を消した。飲食の屋台も大盛況で、めずらしい「大阪のイカ焼き」から売り切れ、被災者からは「美味しい!楽しい!」という声があちこちで聞かれた。また、元は隣同士やご近所さんであった方々と、別々の仮設住宅に移ることになったというのが現状であるため、この夏祭りにて、「あー!元気にしていた?久しぶりー!」という声が聞かれたり、「生きていたのー!?」と言っておられる方までおられたことに、非常に驚いた。しかし、このように、残念ながら離れ離れになった方々が寄り集って再会出来る場所を提供できただけでも、本当に素晴らしい「夏祭り」になったのではないかと自負している。落語終了後も、玄関にて私の手を掴み、深々と頭を下げ「ありがとう。本当にありがとう」と涙を流しながら言ってくださる方や、抱擁される方が大勢いた。また、あるご婦人は、「いつも家に来てくれているみんなが、夏祭りをやるから来て、と言ってくれたから来たよ!震災後、こんなに笑ったのは初めて!!笑いすぎて泣いちゃったわ。絶対にまたやってね。ありがとう」と言ってくださった。この婦人は、今回の地震で旦那さんを亡くされ、訪問した際も震災のことを、涙を流しながらいつも話してくださる方でしたので、こちらも胸が熱くなった。場所を提供してくださった「めぐる」の女将さんは、「本当に良かった。こんなに、みんなが笑顔で楽しんでいるのを見るのは初めて!!よかった、本当によかった。」と、とても喜んでくれた。
「めぐろ」の息子さんは、「ここの集落は20程あるが、仲の良し悪しもある。今までも、夏祭りにしかみんなが集まらなかった。特に今回の震災で、住む所がバラバラになり、更に希薄になってしまった。けど今日は、みんなが居て、仲の悪かった人たちも久しぶりの再会に笑顔で話しをしていた。この夏祭りをきっかけに、みんなとの絆を深めていければ」とおっしゃってくれた。特別出演で、自慢の歌を披露してくれた「めぐる」の大将は、地元の歌「石巻の人」を熱唱してくれた。歌詞の1番を「大阪の人」、2番を「石巻の人」、3番を「小渕浜の人」と歌ってくれた。震災以降今まで、ずつと我慢を重ねてきた人たちが笑ってくれているのを見ると、涙が溢れて仕方がなかった。
夏祭りから2日後に、所用があって「めぐろ」を訪れると、めぐろに勤めているおばさんや近所の人が話をしていた。その話の内容は「みんな、今でも、この前の夏祭りは楽しかったなあ。本当に嬉しかったなあ」と数日たっても言っている。とのことで、私たちの顔を見ると、駆け寄ってきて、「こないだは本当にありがとうね。今日、炊き出しがあって、もらったから、これをお昼ご飯に食べてちょうだい」と言われ、何度も断ったのだが、結局、被災者が炊き出しでもらった「ビーフシチュー」をいただくことになった。これも、被災者の方の最大限のお礼の気持ちなのだと思い、嬉しかった。さて、今回の派遣では、「夏祭り」の準備に追われるということもあったが、長期間にわたっての滞在を許されたため、他の地域の訪問も怠らず行うことができた。まずは、第八次災害派遣で訪れた岩手県の田老地区を訪れることができた。1ヶ月前に来たんです、と言うと「あーつ!覚えているよ、また来てくれたんだね!!」と2回目の訪問であったが覚えてくれていた。
この地区は、物資を今まであまりもらえていない所が多い為か、すぐに私たちだと分かってくださり、今回の訪問をとても喜んでくださった。私の手をグッと握り締め、自分の方に引っ張り「必ずまた顔見せに来てね、その時まで元気に頑張るから」と目に涙を浮かべながら言ってくださった。また、前回訪れた時は、震災の恐怖を細かく話してくれたご老人がいたのだが、今回は数十分の間に何度も同じ話をして、認知症のような症状があらわれていた。非常に心が痛くなったが、これも震災の影響が濃くあらわれているのである。何度も訪問して、元気づけてあげたいと思う。
さらに、この地区は、支援物資が少なくなってきている為、仮設住宅の方たちしかもらえず、「私たちも被災して、とても困っているのに…」と悲しそうな顔をしておられた。水は通っているのだが、日によっては濁っていたり、すっぱかったりするそうで、まだ安心して水が飲めないそうだ。今後の岩手県にも注意していきたい。女川町竹浜に1軒だけ残った方の家を訪問したが、もう引っ越しておられ、残念ながら会うことができなかったので、書き置きをした。もし、新しい引越し先が分かれば、是非会いに行きたい。女川地区では、まだ電話が復旧しておらず、ご老人の夫婦は携帯電話を持っておられないので、兄弟の連絡が出来ずに困っていた。また、仮設住宅の工事が遅れており、10月の中旬にならないと入居ができないそうだ。
女川地区の消防団長宅で「清水は見に行ったか?」と聞かれ、「行ってません」と答えると、「女川に来たら、絶対見といた方がいいよ!」と言われたので、清水にある団地を見に行った。そこは、海岸から数キロ離れており、4階建ての建物が3棟並んでいる。震災の直後、みんながその4階建ての屋上に避難して、津波が来るのを見ていたそうだが、津波が4階を楽々と越えていき、屋上で避難していた方たちは全員流されてしまったそうだ。女川町は、あたりの景色がよく見えない程挨が舞っており、散水車で水を撒いているのだが、全く追いついておらず、とても空気が悪かった。
旧北上町から北上した地区で、小室という地区があるのだが、この地域を訪れると、地元の漁師さんは、シャケの漁がもうすぐ再開されるとのことで、網を直しておられた。顔見知りの漁師さんに話を聞くと、去年まではシーズンになると「よし!やるぞ!」と、気合い十分だったが「今年は複雑な心境です」と何度も言い、「あんなことがあった海には行きたくない。でもやらないといけない」と、辛そうに語っていた。この地区は、シャケの稚魚放流もやっているそうだが、津波で稚魚の養殖施設がやられてしまい、残った稚魚を急いで放流したそうだが、シャケになって戻ってくるかどうかは、4年後にならないとわからないと話してくれた。
今回の被災地派遣は、約2週間を予定していたが、台風の影響による復興祈願祭の延期により、期日を早めて帰阪した。延期された復興祈願祭は、9月25日に行われる予定となっている。次回の派遣では、本年度「教会女性ジヨイフル・フォーラム」にて制作した千羽鶴を持参し、被災地の一刻も早い復興を願いたいと思う。以上、第十次災害派遣の報告とします。中近畿教区の皆様には、いつも暖かいご支援、本当にありがとうございます。

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