新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息をご祈念申し上げます。そして、新型コロナウイルス感染症に立ち向かわれている医療従事者の皆さまに感謝申し上げます。

戦争のない世界真の平和を願う

2022.05
金光教東京センター嘱託
辻 井 篤 生

 新型コロナウィルス感染症や気候変動による環境対策が待ったなしの状況下、地球規模での普遍的連帯が必要なときに、全くそれに逆行し、ロシアがウクライナへ侵攻した。冷戦が終焉したとき、国家間の直接的な戦争は起こらないと誰もが信じたが、無残にも裏切られた。それも小国やグループの独裁者ではなく、国際的な政治秩序である国連の安全保障理事国のロシアが公然とその国際ルールを破ったのである。これは到底許される行為ではない。
 ただ、この問題の難しいところは、戦争は何も悪意を持って人を殺したいからするのではなく、自らの国や民族、集団の正当性を主張し、自分たちを守り、間違っている現状を正そうとして戦争を始めるからである。そこには正義感、同胞愛、理想といった善意に支えられ、自らの正義を持ち出し、その心の底に「間違っているあなたのためを思って正してあげる」という善意の使命感があるから始末が悪い。しかし、自ら正しいと信じていることが相手を責め傷つけてしまうあり方、個々のところで正しくても全体としては悪になったり、善意が悪となってしまう根本的な矛盾を抱える人間の難儀性があることも自覚する必要がある。


 金光教祖は、この人間の難儀性を「難儀な氏子」と呼び、と同時に「天が下の者はみな、神の氏子」、「人が人を助けるのが人間である」という神の氏子としての人間観を示された。「天が下の者はみな」の「みな」が重要であり、私や私たち、私の国ではなく、すべての一人ひとりが大切であるということ。人間は難儀な氏子であり、不完全であるからこそ足りない所を足し合い、助け合う神の氏子としての働きを現してほしいと願われた。
 自分は正しく完全であり、「間違っているあなたのためを思って正してあげる」という善意の使命感が実は争いの種となるという難儀な氏子性に気づくことによって、神の氏子として他者や敵をもまた神の氏子であると思うことができていく。自らを殺そうとしてくる敵の一人ひとりもまたそうせざるを得ない難儀な氏子であり、そして神の氏子でもあるということ。人間は難儀な氏子であると同時に神の氏子であるからこそ、また自らも他者も、与えられ、生かされている命だからこそ、互いに大事にしあっていくことができていく。そこから、負の連鎖を断ち切り、分断から共生へ、分け隔てなく分かち合うことができていく戦争のない世界真の平和へと向かうことを日々願っております。