新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息をご祈念申し上げます。そして、新型コロナウイルス感染症に立ち向かわれている医療従事者の皆さまに感謝申し上げます。

日常生活の中での信心の稽古

2022.02
金光教東京センター主事
土 居 智

 境内の木にヒヨドリが巣を作りました。背伸びをすれば手が届くくらいで、丸見えというか「なぜここに?」というような位置でした。いつしか雛が生まれ、親鳥がせっせと餌を持ってくる様子は微笑ましいものでした。


ある日の朝、けたたましい声で鳴く鳥の声が聞こえました。見に行くと道の真ん中辺りで、羽をばたつかせている雛が。車は雛を避けて徐行しての通行で、雛は羽をばたつかせて行ったり来たりしていました。私はこれは大変だと思い、雛を優しくつかみ、境内の方へ移動させました。親鳥は雛を捕られまいと必死に鳴き叫びながら近づいてきました。私は恐怖を感じ、生け垣に雛を放すのが精一杯でした。自分として「やれることはやった」「助けることができた」とその時は思って出勤しました。
 翌朝、再び親鳥が鳴き続けていました。見に行くと境内の池で雛が仰向けになって浮かんでいたのです。私が雛を放した生け垣から池までは5メートルほどでしょうか。助けたつもりでいた私にはショックでした。雛の亡骸を見つめ、鳴き続ける親鳥。雛に近づこうとせず、木の上から鳴くだけでした。私が雛をすくい境内に埋めるのを見届けると、安心したかのように親鳥は飛び立っていきました。
 金光教の教えの中に「かわいい(ふびんでならぬ)と思う心が、神心である」とあります。この心は思うだけでなく、そこから助けよう、役に立とうとする動きへと駆り立てます。最終的に雛を救うことはできませんでしたが、巣から落ちた雛や親鳥の様子を見て、私を突き動かしたものがありました。巣が作られ、成長を見守り、巣立ちの失敗。一度は助けることができたようで、最終的には見送りを手伝うことに。今回の一連の出来事で、神心を育む稽古を受けさせていただいたように思います。日常生活の中での些細な出来事を通して、いつも神心が発揮されていくよう、そして神心が育み磨かれていくように、信心の稽古を続けさせていただきたいと思います。

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