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第37回 金光教東京平和集会

開催テーマ 「女性と人権ー知る・気づく・考える」
日時:2019年7月15日(日)
場所:金光教館
peace2019-1.jpg 金光教東京センター(大木光雄所長)は7月15日、東京都千代田区の金光教館で第37回金光教東京平和集会を開催し、140人が参加した。
 今回のテーマは、「女性と人権~知る・気づく・考える~」。#MeToo運動や2018年ノーベル平和賞にコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ医師、イラクの少数派ヤジディ教徒の権利擁護を訴えてきた活動家のナディア・ムラド氏の受賞によって、女性を巡る問題に大きく焦点が当てられたこと、人権の歴史の中で人権の対象から女性が取り残されてきた背景から、このたびの集会テーマとなった。


 第一部では、映像を使って「女性と人権」にまつわる歴史について学び、欧米諸国で起こったイギリス名誉革命、アメリカ独立戦争、フランス革命といったブルジョア革命の結果、基本的人権はフランス人権宣言として文章化され、1948年には国連で「世界人権宣言」が採択されたことによって、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準が定められた経緯が紹介された。更に国連内に「女性の地位向上委員会」が設置された理由について、フランス人権宣言は人の権利と市民の権利を明確に保障した体系的な宣言であったが、その権利の主体として使われた「Homme」「Citoyen」という単語は男性を示すもので、宣言の中で人権が保障されていたのは市民権を持つ白人の男性であって、当時の女性や奴隷、有色人種は含まれていなかった ことから、性差別撤廃に向けた世界的な取り組みとして設置されたと説明があった。
次に、女性の人権の種類について、①教育を受ける権利②性と生殖に関する健康と権利③政治に参画する権利④働く権利⑤家庭生活における権利⑥社会保障の権利とライフスタイルに中立な制度を求める権利⑦武力にさらされない権利⑧女性の人権と平和の8項目について説明があった。
 第二部では、水津智子さんの司会のもと、医療関係者や学校教師、学生、本教教師の5人のパネリストが登壇。職場や家庭でのジェンダーハラスメントの問題や昨今の性暴力の問題について、それぞれ意見を交わした。
 なかでも性教育のあり方については、「最近の学校教育の現場では、教師ではなく医療機関の産婦人科の医師や専門家が話をするようにしている」「看護学生の時、先輩達からグループワークという形で避妊の方法などを学んだ経験から、親世代から子どもよりは、少し上の先輩からの方がわかりやすいのではないか」といった意見がだされた。
 また、松本峰子先生は、実父の経験をもとに、「性の字はりっしんべんに生きると書き、心のあり様と生きるということが、性という一文字に表されていると感じている。性教育はそれくらい大切なものであり、学校教育の現場だけでまかなえる問題ではなく、生き方とか心のあり様というのは宗教の課題である。教祖様は、”人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし”とみ教えされた。人の思いに気づくという視点、人を軽く見るなという視線。人を軽く見てしまう視線を人を軽く見ない視線に変えていく、ここに集約されるのではないか。教会は信心によって人が育つところであり、生きることと心のあり様をきちんと教えていくところだと認識している。その視点と視線を育てる所が教会であり、女性教師だからこそできることでもあると思っている」と語った。
 そして、最後に宮田和弘先生が、「これまでの歴史の中で弱い立場の人がいろんな被害を被ってきた。そうした社会的弱者に対して、信心する者として考えたときに大事なところは、人と人との間に神様をおいて相手のことを見ていくことが大事になってくる。”天が下に他人はない”という神様の視点である。さらに”人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人である”という相手も大切にすること。そして、”人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし”という人を見るときにこういう視点を持って行動することが大切である」とひろばをまとめた。
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 続いて、東光合唱団によるコーラスの後、大木所長を斎主に戦争死者慰霊・平和祈願祭が仕えられ、祭典後、祭主が次のようにあいさつした。
 「フェミニズムの第一人者である上野千鶴子さんが、フェミニズムというのは女性が男性のように立ち振るまうようなことではなく、また、弱者が強者になるという思想ではない。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重される思想であるとおっしゃっている。私たち金光大神の信心をさせて頂くものも改めて考えていかなければならないと思っている。
 私は月に一度少年院に出仕させて頂いている。収容されている子ども達の話しを聞かせて頂くと、育ってきている環境、社会の中での差別を受け続けながら犯罪に走り、収容されてきている。その子達のまず第一声は、頑張ってもいいようにはならないというあきらめの言葉や、今の社会の中で頑張ることが出来ないと思っている子達がたくさんいる。私たち信仰者として、どのような言葉を掛け、どのような行動をとっていけるのかが問われている。
 教主金光様が神と人との関係は縦軸で人と人との関係は横軸であるとおっしゃられた。人と人との関係をしっかり考えていくこと、祈っていくこと、そして行動していくことが神様との縦軸との交点、横軸と縦軸との交わる場所に神が生まれると考えている。
 ここからそれぞれの生活中で頑張れない人達、頑張ろうと思ってもあきらめている人達、そういう人達が生まれてきて良かったと思える生き方ができるような、お役に立たせて頂ければと願っている」。