道路を掃きながら思う
私が奉仕している教会前の道路は幹線道路で、交通量がとても多い。そのためか毎朝沢山のゴミを目にします。夏に多いビールの空き缶や、弁当箱、煙草の吸い殻、灰皿をそのままひっくり返したのではないかと思う時もあります。道路はゴミ箱ではないのだけどな、なぜここに捨てるのだろう、と悲しい思いになりながら道路を掃いています。
SNSを助けの場に
新型コロナウイルス感染症により、コンサートなどの公演やスポーツ観戦などでは観客を100%動員できない、歓声を出せないなどの規制を余儀なくされています。当初は得体の知れないウイルスということもあり、エンタメは不要不急のものとして公演中止にもなりました。ですが、最前線で働いてくださっている医療従事者、エッセンシャルワーカーの方々や、自粛する人たちの支えのひとつとなったものは、音楽やお笑いなどのエンタメだったのではないかと思います。その公演はなくなっても、テレビやYouTubeなどで見ること、聞くことができ、私にとっても先の見えない不安などに対する支えとなっています。
日常生活の中での信心の稽古
境内の木にヒヨドリが巣を作りました。背伸びをすれば手が届くくらいで、丸見えというか「なぜここに?」というような位置でした。いつしか雛が生まれ、親鳥がせっせと餌を持ってくる様子は微笑ましいものでした。