新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息をご祈念申し上げます。そして、新型コロナウイルス感染症に立ち向かわれている医療従事者の皆さまに感謝申し上げます。

SNSを助けの場に

2022.03
金光教東京センター主事
中 畑 香 々 菜

 新型コロナウイルス感染症により、コンサートなどの公演やスポーツ観戦などでは観客を100%動員できない、歓声を出せないなどの規制を余儀なくされています。当初は得体の知れないウイルスということもあり、エンタメは不要不急のものとして公演中止にもなりました。ですが、最前線で働いてくださっている医療従事者、エッセンシャルワーカーの方々や、自粛する人たちの支えのひとつとなったものは、音楽やお笑いなどのエンタメだったのではないかと思います。その公演はなくなっても、テレビやYouTubeなどで見ること、聞くことができ、私にとっても先の見えない不安などに対する支えとなっています。


 では、宗教は不要不急なものなのでしょうか。金光教では、祭典は参拝するのではなく、遙拝(ようはい)でお願いしたり、教会によっては一時閉鎖したところもあります。ですが、「神様」という存在やみ教えが支えになり、不安を預け、すがることができます。そのため、宗教は不要不急なものではなく、必要なものだと改めて気づかせていただきました。

 スマホを持つことが当たり前になっている中で、SNSは欠かせないものになっています。ニュースを見ていると、SNSは人を傷つけ、時に命を奪う凶器にもなり得るものだと感じますが、その一方で、助かりの場も作ることができます。SNSに「つらい」などと呟くと少し楽になるということもあるのではないでしょうか。「つらい」「死にたい」などと思ったときに、金光教の教会が助かりの場となり、ちょっとでも心が軽くなればと願っています。その教会に繋がるきっかけをSNSを通して作ることができると思います。

 私はコロナをきっかけに、センターの御用とは別でSNSを始めました。インスタグラムではみ教えを手書きで投稿し、YouTubeでは金光教についてやみ教えの紹介などの動画を公開しています。SNSを始めた理由は、金光教に出会う人が増えてほしい、教会にお参りできなくても教会は身近に存在する、神様はいつもそばにいてくださっていることを伝えたかったから。また、未信奉者の方が興味を持ったときに金光教について知ることができる動画を作りたいと思ったからです。
 SNSでは、「○○の名言」「○○の格言」というような形で拡散されることもあるので、今までご縁がなかった方に届けるためにも発信していくことは大事だと思います。金光教には、「心配は神に任せて氏子は信心せよ」「信心する人は辛抱という棒を信心のつっかい棒にして、信心がひょろつかぬようにするがよい」など支えになるようなみ教えがたくさんあります。そのみ教えを発信し、自分にとっての支えとなるみ教えを見つけてもらえるようなきっかけ作りになれたらありがたいです。
 SNSは必要だと個人的には考えていますが、東京センターはこのホームページのみですし、ホームページがない教会もあるのが現状です。ですが、たとえそのようなものがなくても、日本中、世界中の教会で、すべての人の心身の健康、助かり、幸せを願っています。東京センターでは教会の紹介もできますので、ぜひ気軽に問い合わせていただければと思います。