新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息をご祈念申し上げます。そして、新型コロナウイルス感染症に立ち向かわれている医療従事者の皆さまに感謝申し上げます。

与えられてある

2021.12
金光教東京センター次長
荻 野 理 喜 之 助

 いま脱炭素社会に向けて様々な取り組みが広がっております。再生可能エネルギーや電気自動車をはじめ、テレビニュースやコマーシャルなどを視ていると、次々と新しい技術が紹介されていて、何か近い将来、あっという間に困難を乗り越えられそうな気にさせられたりもします。
 確かに新しい技術によって、前進することはたくさんあるでしょう。しかしどうしてもそれだけで済むのだろうかという気もします。どこまでいってもその新しい技術を使うのは人です。その人がどのようにその技術を使うのかということがあるからです。
 ある技術が改善されて二酸化炭素の排出量が減るとしても、その技術が普及してコストが下がり、その利便性からよりたくさん利用されるようになれば、結局、現実的にはほとんどその効果が消えてしまうということもあり得るでしょう。それを使う私たちがどんな価値観をもっているのかを考えなければいけないことなのではないでしょうか。


 金光教では食事をいただく前に唱える食前訓に「食物はみな、人のいのちのために天地の神が造り与えたまうものぞ。何を飲むにも食べるにも、ありがたくいただく心を忘れなよ」(『今月今日 金光教信奉者必携』)とあります。私たちが生き、活動していくためのエネルギーは食物を取ることで得られます。そのエネルギーのもととなる食物はすべて神様が与えてくれたものであって、そのことに感謝することを忘れないようにしましょうと、食事の前に唱えるわけです。そうするとおいしくいただこうとか、無駄をしないようにいただこうとか、どのように食物をいただくのか自ずと思わされます。
 現代社会は電気などのエネルギーなしではまったく機能しなくなってしまいます。そのエネルギーは発電などによって得られているわけですが、それは資源から発電という技術を駆使して得られるものです。この資源は人間にたとえると食物のようなものと考えるならば、それはやはり神様から与えられてあるものであって、ありがたくいただく心を忘れてはいけないものとなりましょう。
 脱炭素社会に向けて、さまざまな技術開発の情報ばかりに目がいきがちです。しかし太陽光にしろ風力にしろ、その根底にあるエネルギーを生み出させる資源という点に目を向けると、やはりそこには与えられてあるという私たちの存在が浮き彫りになってきます。
 与えられてあることに感謝を忘れず、ありがたくいただく、無駄にしない、どんなに良い技術が作られたとしても、そのことは外してはならないことのように思います。