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第25回 金光教東京平和集会

開催テーマ 「どこまでも真の平和を求めて」
日時:2007年7月15日
場所:金光教館(雨天のため平和行進は中止)
内容:松本侑子氏講演、平和祈願祭


 東京センターでは毎年、平和を願う人々が一堂に会し、祈りを共にしながら、学習や情報交換を通して、新たな平和活動を生み出すことを願いに、「祈る」、「学ぶ」、「行動」を三本柱として開催している。
今年の平和集会では、「どこまでも真の平和を求めて」をテーマに、〈学ぶ〉こととして、講演「九条を変える日本、変えない日本」(講師・松本侑子氏)と「子どもの広場」、〈行動〉として平和行進、〈祈る〉として平和祈願祭を予定していたが、台風4号の悪天候のため、平和行進は中止した。参加者は約160人であった。

講演 「九条を変える日本、変えない日本」 
講師・松本侑子氏(作家・翻訳家、日本ペンクラブ常任理事)

 講師は、日本国憲法前文と憲法九条を朗読後、現在の主な改憲論を一つひとつ検証。続いて憲法を変える日本、変えない日本の二つの道について言及。概要は次のとおり。
 憲法九条と改憲論について、「九条は、人類全体の普遍的な平和的生存権を規定した条文であり、戦争や軍隊など国の防衛政策で捉えるのではなく、基本的人権の一部として捉えているところが大変画期的なものである。その九条を変える改憲論としてまず〈米国とGHQに押しつけられたから自主憲法を持つべきである〉との意見があるが、もし押しつけというなら、財閥解体、農地解放、家族制度の廃止も押しつけになり、この論は様々な民主改革とセットになった制度という事実を見ていない。また当時の国会や国民も熱狂的に現憲法を歓迎したのである。次に〈九条は形骸化しているから現実に合わせるべきである〉という意見があるが、大戦後一人の外国人も殺さず十分有効に機能している。現実に合ってない条文でいえば、憲法二十四条[両性の平等]、二十五条[生存権]は現実には実現していない。そもそも憲法は国が目指すべき理想であるから、現実と乖離があって当然のものである。また〈中国や北朝鮮からの攻撃、テロに備えて強大な軍隊が必要である〉という意見については、北朝鮮はそのような能力も意思もメリットも全くなく、中国もいまや世界最大の貿易国であり、戦争する理由はない。しかし、改憲する側がその恐れがあるかのように国民を煽って、改憲しなければならないと主張しているのである。だが、テロについては、世界最強の米軍でも世界第一の対テロ諜報機関を誇るイギリスでも防ぐことができなかった。また〈日本固有の文化と伝統を守る憲法が必要である〉との意見については、憲法はそもそも文化や伝統を規定するものではなくて、国民権利を保障するために国家が守る規範であり、憲法がどういうものかを理解していない。さらに〈戦後体制からの脱却〉については、戦後体制のどこがどう悪かったのかをしっかりと検証しなければならない。現在の論調は、戦前体制への復古主義でしかない」。
 次に、九条を変える日本、変えない日本について、「九条を変え、集団的自衛権を認めると常に戦争をしているアメリカの戦争に参加することになる。そしてアラブ、イスラム世界を敵に回し、テロの標的になる。軍事力は増強され、武器輸出三原則も変わる。自由はますます制限、国民の財産権も侵害される。アジア地域の軍事的な緊張が高まることは確実で、どの国も軍事力を増強し、不安が高まる一方である。一方、九条を変えない日本は、自衛隊をまず自衛力の範囲に戻すとともに国際緊急援助隊、災害救助隊に改編。日本が得意とする非軍事分野(医療、教育、農業や工業の技術指導等々)での国際貢献を図っていく。そうして世界の信用を深め、国内ではますます自由と人権が尊重される世の中になる。さらに国際交流を図ることによって、平和主義と核廃絶の国際リーダーとなって世界平和に貢献できる国家になるであろう」。
 最後にこうした非軍事のあり方が実は最大の国防であり、自衛権であることについて、1973年の長沼ナイキ訴訟の札幌地方裁判所の判決文を紹介しながら、「自衛権の行使は必ずしも軍事力によるものでなく、政治、経済協力、外交、国際交流といった総合的な努力を継続的にしていく以外にないと司法判断が出ている。現在憲法を改正して正式な軍隊を認め、集団的自衛権を持とうとする岐路にたたされている。これからの日本やアジアの平和がどうあればよいか。二つの道を皆様一人ひとりによくお考え頂き、よりよい方向を共に考えていきたい」と述べた。
 
子どもの広場
 子どもの広場は、まずゲームで自己紹介をした後、歌や絵本を通して平和や自由、いのちの大切さなどを学んだ。
 次に平和集会エンディングで参加者の前で歌う「ケサラ」を練習した。ケサラは自由と平和の大切さを歌った曲で、「ケサラ ケサラ ケサラ 僕たちの人生は 平和と自由を求めて 生きていけばいいのさ」と元気いっぱいに歌った。「平和と自由」という言葉を声に出して歌うことで、自分たちにできる平和の表現を学んだ。
 休憩後、絵本「せかいでいちばんつよいくに」をスタッフが読み聞かせ、子どもたちに感想を聞いた。また、世界が平和になるためにはどうしたらいいかなど、わかりやすく話し合った。

平和祈願祭
 平和祈願祭では、これまで世界のあらゆる場所で、天地を汚し、互いに争い合い、神様から頂いた命を粗末にしてきた私たち人間の平和ならざる行いの中に、はからずも命を落としていかれた、数多くの霊様の御苦労にお礼を申し、お慰めし、すべての霊様の立ち行きを神様に願い、そして霊様と共に、天地金乃神様にこれまでの御無礼の数々をお詫びし、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓い、ここからの「世界真の平和と人類の助かり」を願った。
 祭典は4人の祭員で仕えられ、首都圏信奉者有志からなる平和合唱団による献歌、献灯、献水があり、次に今年初めて大人と子どもの代表二人による「誓いの詞」(後掲)を奉読した。

誓いの詞
 生神金光大神様、天地金乃神様とお称え申して、今、私たちはこの地上に生かしていただいております。
 教祖様は「人を助けることができるのが人間である」との親神様の願いをお示し下さいました。私たちは、その神様の願いに添うような生き方がどれだけできてきたでしょうか。
 かつての大戦での、そして今なお続く争いの中で、尊いいのちを亡くされた多くの人々。そのお一人おひとりの死は、一人の死で終わるものではありません。その悲しみの連鎖は、今も果てしなく続きます。
 今日、第25回東京平和集会の名の下に、亡くなられた全ての人々のみたまを悼み、みたまよ永久に安かれと、心から哀悼の意を捧げます。
同時に、人は全て神のいとし子であると慈しみ、その助かりを願われている親神様のみ思いを受けながら、人が人を傷つけ争うこの世界を放置し、自分の殻に閉じこもりがちな私たちの日常に、親神様のお嘆きは如何ばかりでしょうか・・・。
 私たちは改めて今、親神様に心からのお詫びを申し上げます。そして亡くなられた全ての方々の尊いいのちを、私たちの生きる力としてどこまでも平和を求め、その実現の努力を惜しまぬことをお誓いします。
 世界真の平和を願う氏子として、その願いを我がものとして、手の届く人へは愛を、そして遠くにある人々へは心からの平和への祈りを捧げます。
2007年7月15日
金光教東京教会 関口昭子

誓いの詞
私は、学校の授業で戦争のビデオを見ました。
そのビデオでは、インタビューやドラマ、CGなどで六十二年前の出来事が描かれていました。
大きなサイレンの音と共に、雲のすき間からたくさんの米軍機が現われ、黒い爆弾を次々におとし、赤くもえる町や黒こげの死体を作ったそうです。ビデオには、空からふって来た爆弾から白いドロッとした液体が出てきて、みるみるうちに、火が燃え広がり、人のにげ場を無くし、たくさんの人を死においやった様子が出ていました。
私は、戦争のむごさを知りました。
「戦争は絶対しては、いけない。」そう思いました。
戦争は、国や町の大きなけんかです。戦争をなくすために私に出来る事は、何でしょうか?。だれでも出来る事があると思いました。たとえば、相手の考えや文化などを勉強する事です。自分が相手の考え方や文化を尊重し、思いやりをもつように注意し、神様に戦争のひ害者の方たちと、加害者の方たちの事をお願いすれば戦争はおきないと思います。
私は、高校と大学でいろいろな国に行き、その国の事を勉強して、平和の活動にたくさん参加したいです。
2007年7月15日
金光教横浜西教会 山田朋歩