金光教講演会

 金光教講演会は、広く金光教の信仰にふれて頂きたいとの願いのもと、毎年、公開の場で開講しています。


平成28年 金光教公開講演会

 7月3日  名古屋港ポートビル 138名 

講師 小澤 浩 氏(宗教史学者・近代日本民衆宗教史専攻・元富山大学学長)
講題 「人が助かることさえできれば―人が助からねば世も助からぬ―」

 社会に広く金光教を知らしめていく活動として、金光教公開講演会を開催した。
 元富山大学学長・宗教史学者の小澤 浩 氏が、東京・大阪・名古屋を会場に約90分、金光教に対する思いを語った。

 ○耳を離れぬ声と、教祖の言葉

 私の原点として二つのことが挙げられる。
 一つは戦争体験。十歳の時、大好きであった叔父が戦争で亡くなった。まるで兄弟のように、いつも一緒に同じ部屋で寝起きしていた。「どっどどどどうど、どどうどどどう」『風の又三郎』を読んでくれた叔父の声は今も耳によみがえる。その叔父を亡くした喪失感は、子供ながらにたとえようもない深いものであった。戦争による「死」が、いかに残酷で理不尽なものかを思い知らされた。そこから、大学へ進み、戦争を阻止できなかった要因を、人々の心の有り様から追究する「民衆思想史」という学問分野に進んだのだ。
 もう一つの原点は、大学時代に出合った『金光教教典』だ。そこに書かれている教祖の言葉は、平易な言葉であるにも関わらず、事柄の本質を貫く。そして「人が助かることさえできれば結構である」との言葉に注目した。この「人」は人類そのもの(総氏子)であり、無条件の助かりが願われている。この願いは他の宗派や思想、宗教が嫌いという人にも受け入れられる説得力があると思う。「人が助かることさえできれば」という願いを、少しでも広げ平和へとつなげていきたい。

○人助けに生涯を捧げた人たち

 岐阜県・垂井教会の松本清次郎師は、日中戦争で大変な経験をされた。初年兵だった松本師は、敵の捕虜を的にして、試し突きの稽古を強いられた。次々に試し突かれていく中、松本師は最後まで銃剣を取ることはなく、これを拒み続けた。兵士としてあるまじき行いとして、半日水に漬けられて責められ、終わった時には半身紫色にむくれ上がり、生きた人間の姿ではなかった。このお道に生かされてあるからこそ、人の助かりを願うからこそ、松本師は自分がどうなってもかまわない思いであったのだ。

 この他、北朝鮮に渡り、戦争によって虐げられた人々たちと共に生きた金光教羅津教会長の幸田タマ師や、内戦により飢餓地獄と化した中国・長春市で、無残にも亡くなった数十万人の遺体を目の前に、自らも生きるか死ぬかの状態の中、祖先賛詞を唱え「どうか救われてくれ…」と祈りを捧げた信奉者の大久保宅次氏を例に上げて、教祖の信心を身をもって現し生きた人たちとして紹介した。

 金光教について語る講師の情熱に、参加者の胸の中にも、「人が助かることさえできれば」との教祖の熱い思いが伝わったのではないかと思う。

※小澤 浩 氏プロフィール
  1937年に富山県生まれ。1963年国際基督教大学教養学部卒業。1989年富山大学文学部教授に就任。2001年に富山大学学長就任、同年辞職。宗教史学者、近代日本民衆宗教史専攻。

 


平成27年 金光教公開講演会

 7月18日  三島市民文化会館 

講師 土居 浩氏(金光教学研究所嘱託/群馬県・前橋教会輔教)
講題 「イエのセンゾとは誰か:しきたりから考える」

 金光教公開講演会は、本教の信仰を社会に公開し語ることを趣旨としているが、このたびは、民俗学を専攻し、弔い方法や墓の調査研究をしている講師を招き、本教の信奉者が学ぶ観点で開催した。また、静岡県東部教会連合会との共催で、第18回ライフアップセミナーにあわせて行われた。  講話では「目で知ること/耳で知ること」、「口で説くこと/身で示すこと」、「イエのセンゾを祀るしきたり」など、北関東の盆棚を紹介しながら話を進めた。参加者は50名。(以下要約)

 先祖やみたまの祀り方について、皆が同じように祀っていると思うが、実はそれぞれ特殊である。
 北関東の事例に「盆棚」というお盆の行事がある。部屋の一角に畳一畳分、高さは二メートルほどの囲いを作る。そこに仏壇から位牌をすべて移動させ、周りは供養証文という掛け軸を吊るし、畳の上にはお供え物、手前には飾りの切り紙をぶら下げる。こうしてご先祖をお迎えするのである。
 詳しく調べると、この供養証文に書かれている先祖の数は八人。墓石に書かれている人数は十人。位牌に出てくる人数は十一人。さらにその家の祖母に先祖の数を聞くとさらに増える。不思議に思うがきちんと理由がある。
 墓石は他人に見られるので、知られたくない人の名前は書いてはいない。だから位牌など人の目に触れない所にそうした人の名前があったりする。さらに祖母の伝える数には、姑から、「この人は非常に世話になった人だから、忘れてはいけませんよ」と言われて祀っている先祖も入っている。物的証拠はないが、祖母の中で、この人は家の先祖として祀ることになっている。文字の知識であればこうはいかない。祖母は、姑から耳で聞いたこと教えられたことを素直に受け入れ大切にする。これが重要だと思う。耳で知った上で、身で示していくのである。
 先祖を祀ることは、ルールである。自分たちで決めたわけではなく、古くからそれが正しいと口伝えや振る舞いで示されてしてきているものである。
 自分が亡くなった後どうなるのか、祀ってきた先祖は次の世代に引き継げられるのか、誰もが不安に思うだろう。しかし大事なのは、先祖の祀りはこうあるべきだと単に言うのではなく、まずはどのように祀っているのかをきちんと自分が把握することから始まるのではないかと考える。

 


金光教 教祖130年奉祝 LIFE UP よろこびと笑いのつどい

 平成25年8月31日、名古屋能楽堂において、教祖130年奉祝 「LIFE UP よろこびと笑いのつどい」が開催された。来場者約600名。

 このつどいは、教祖130年の奉祝行事として、生神金光大神取次のはたらきにお礼を申し上げると共に、信奉者が一堂に会して、よろこびの心と笑顔で、ここから神人の道を現す契機とすることを願いとして開催した。

 

 コンセプトは、「伝統・文化、連帯、よろこび」。会場は名古屋能楽堂の檜舞台。各連合会長と名古屋地方の信徒を中心に、実行チームを編成し、金光教の文化・伝統、東海教区の教師・信徒一体となった連帯感のある催しを検討した。
 当日は、台風の接近が危ぶまれたが、お天気のご都合を蒙り、来場の足取りも軽く、赤いユニフォームで揃えたスタッフの面々は能楽堂の会場に一段と栄え、続々と集まる人々は楽しみと笑顔であふれていた。
 まず、オープニングには、名古屋地方教会連合会内の信徒により、教祖様の取次の様子を表した朗読劇「永遠の取次」が披露された。当時のお広前を想像しながら、教祖様から継がれる御取次の伝統を感じた。
 続いて、金光教の文化として、結成50年を迎えている典楽会東海支部が、吉備舞「富士之峯」を披露した。なにより金光教典楽会の男性舞人、佐野祐輝さん、直輝さん(豊田教会)の兄弟による吉備舞は華やかにも凛々しい舞姿であった。
 舞人・楽人の皆さんのお稽古の積み重ねがあればこそ。その取り組みにお礼を申し上げるとともに、ご用に立つ喜びをかみしめた大舞台となった。
 最後は、教祖130年を迎える喜びを桂かい枝さんと笑福亭智之介さんの落語で堪能した。笑福亭智之介さんは、落語に加えマジックで斬新な舞台を、このお道に親しみのある桂かい枝さんは、会場との掛け合いによって一体感を生み、金光教の数え歌を面白おかしく披露し、お腹の底から笑い大盛況のうちに閉幕となった。


平成24年度 金光教公開講演会 報告

 六月十七日、岐阜県教会連合会と共催で、大垣市民会館を会場に金光教公開講演会を開催した。井手美知雄師(福岡県・行橋教会)を講師に、「しあわせ上手に」との講題で講話がなされた。参加者は八十二名。  お互いにありがたく生まれてきたのであるから、ありがたく生きる。幸せというのは、心が楽になること、心が大丈夫になる。他人様と比較をしたり、物事にとらわれたり、我を張っていきまない生き方になる。自分に夢中になること、夢中になると、自分がこの世の中にあるという不思議さに出会い、素晴らしい自分を愛することができる。自分を愛することができると、他の人に対して好意的になり、自分の進む人生も肯定的に進むことができる。  師の前向きな姿勢から発せられる溢れんばかりの具体例は、聴講者自信のいのちのあり様を見つめさせ、信仰実践の取り組みに大きく作用したと思われる。


平成23年度 金光教公開講演会

 名古屋センターでは、社会に開かれた場で、未信奉者の人々にもわかりやすく、金光教の信仰に触れていただくことを願いとして、公開講演会を開催している。

 本年度は静岡県東部教会連合会と共催して、2月27日(日)、富士市交流センターを会場に、今泉明師(愛知県・豊川教会長)を講師に迎えて、「神様の願いに生きる」との講題で開催した。参加者からは、自分の信心を見直すきっかけとなった、との声もあり、それぞれに刺激を受けた集会であった。参加者は72名であった。

神様の願いに生きる
 
教祖様は、「信心して神になれ。人を助けて神になれ」と仰っている。私たちは、信心する目標・目的をそこにおいて、神様の願いを現し生きていかなければならない。そのために大切なことは二つある。
 一つは「一心に祈る」こと。もう一つは、教えに基づいて「改まる」ということである。

 「一心に祈る」こと 「一心に祈る」については、教典を読むと四つ意味がある。
 @一生懸命心を込めて祈る。
 教祖様は、「自分の力でするという思いでなく、神様にしていただくのだという思いになれば、神様はつきまとって下さる」とみ教え下されている。どんなことが起きようとも、「神様」とおすがりして一心に取り組むことが大事である。
 A迷いなきひとつの心で祈る。
  「おかげはいただける」「いただけそうにもない」。その二つの心の間を揺れ動いて祈るのは、迷いの祈り。私たちは「絶対におかげはいただける」「おかげをいただくのだ」という、強い心をもって神様に向かわねばならない。
 B天地金乃神様以外に無い。
 世間には八百万の神と言うように、たくさんの神様がおられる。人によっては、いろいろな神様に頼むことでご利益があると間違っている方もいるが、それは、余りの信心である。私たちは、この天地金乃神様一筋という思いが大事なことだと思う。
 C神様と一つ心で祈る。
  私たちは、神様に喜んでいただく信心をさせていただいている。たとえ気に入らない人がいても、「どうぞあの人との関係が、神様に喜ばれるような関係にならせてください」と、神様と同じ心で一心に祈っていくことが大事である。 「改まり」について  「改まり」は、自分自身の至らないところ、出来ていないところを、気付かねば、改まりようがない。気付くためには、やはり、お取次ぎをいただき、教えを日々実践していくしかないと思う。

 また、自分の過ちや足らないところに気付いた時にも、素直さや謙虚さがなければ、改まれない。改まりには、気付くことと、素直さ、謙虚さという心が必要である。
 また「私はもう歳ですから、これからは若い方に代わっていただきたい」と言う方がいる。もっともなお話だが、私たちは神様から命をいただいている。神様のご用は、命あるかぎりさせていただくことが大切である。「もう歳だから」と言うことはない。言うのであれば「これからは若い人と一緒にご用させていただきます」と言わせてもらいたい。
  「人を導き助ける」ための三つの大切なこと
 一つは、金光教の信心をしている人は、言うこともすることもさすがに世間の人とは違うと、認めていただけるような私どもになるということである。
 二つには、金光教の信心をしている人は、私のことをいつも祈って下さる、本当にありがたいと思われるようになることである。そのためには言うまでもなく、周囲の人々の幸せと助かりを、わが事として祈っていくことが前提になる。
 三つ目には、いまおかげをいただいて、生活できるという真実を、周囲の人々に語っていくことである。教祖様は「道は人が開け。おかげは神が授ける」とみ教え下されている。おかげは神様が授けてくださるのであり、私たちが授けるのではない。神様に願えば、神様が助けてくださり、道は、私たち一人ひとりが伝えさせていただくということである。
 神様の願いである「人を助ける」という働きを、日々生活の上に、現していける私たち、まさに神様の願いに生きる私たちでありたいと強く思わせていただている。

 


平成22年度 金光教公開講演会 報告

 本年度は、3月14日(日)、浜松市地域情報センターを会場に、高阪忠裕師(滋賀・大津教会)を講師に迎えて、「神人の絆 深めて」との講題で、静岡県西部教会連合会と共催して開催しました。

 講話では、神様は、私たちに信心して助かってほしいとの思いで、紐を与えてくださっています。私たちがその紐をしっかりと持たなければ、紐はぶらぶらと揺れ、私たちの心も不安定となります。神様からの紐をしっかりと持ち、神様との絆を深く揺るぎないものにしていくためにはどうすればいいか。大切な三つの心を例話をあげながらお話くださいました。
 一つ目は、「金光様にお取次をお願いして、神様におすがりする心」。教会にあっては、結界取次をしっかりといただくということ。そして緊急の時には、いつでもどこでもどんなことでも、その時その場所で「金光様」と御名を唱えてお取次をいただいて物事を進める気持ちを持っておく。
 二つ目は、「神様のお働きに気づき感謝する心」。世間では当たり前だと思われていることが、実は神様のお働きであると感じ気づき、これまでの恩恵に、感謝の心・お礼の心にならせていただくことが大切です。
 三つ目は、「神様の願い・お頼みに応える心」。神様は、私たちが一人でも多く信心して助かってほしいとの切なる願いをお持ちです。その願いに少し でも応えようとするとき神様との絆が深まっていく。病気で体が思うように動かなくなり、余命一年と言われた母は、自分がそのような状態になっても、お参りに来られる方や、入院されている人の助かりを祈ることを生きがいとして過ごしていました。自分のことは神様に任せ、一人でも多くの人に助かってほしいと祈る姿は、ささやかながらでも神様の願い・お頼みにお応えしようとしている姿でした。
 このような三つの心を紡いで、神様との絆を深め強くして、不安のない安心の道を歩ませて頂き、周りの人にも神様との絆を結んでもらえるように取り組んでいきたいと締めくくりました。

 参加者は八十八名でした。


平成20年の金光教講演会

 7月13日、蒲郡市民会館東ホールで、宇都木員夫氏(東京都・芝教会 輔教)を講師に迎えて、「今なぜ金光教が必要なのか」との講題で、金光教講演会を開催した。参加者は約140名でした。 (三河地方教会連合会と共催)

 講話では、いま話題となっている事件(秋葉原連続殺傷事件、モンスターペアレントいじめの問題等)から、殺伐とした世の中、漠然とした不安感と心細さ、頼りなさ、閉塞感が今を生きている人に蔓延していることが問題であるとし、こうした世の中にこそ本物の宗教が必要であると話された。しかし、こうした世の中で流行るのは本物ではなくカルトと呼ばれる宗教である。問題が起きてきた時に、先祖の因縁のせいなど、恐怖で縛り上げるのがカルト宗教の特徴である。金光教は縛るのではなく解き放つ宗教。「幸せな人生ですね、神様に感謝して喜びいっぱいに生きましょうね」といろいろな縛りから解き放ってくれる、とカルト宗教との違いを語った。

 また、神様のイメージとして、高いところから糸を垂らして、「助けてやるから早く登ってこい」とのイメージをずっと持っていたが、「金光教の神様は、あなたの横にぴったりとくっついています。あなたが悲しいときには誰よりも悲しみ。あなたがうれしいときには誰よりも喜んでいます。それが金光教の神様です」と教えられたときは、目から鱗が落ちるほどの思いだったと話された。

 さらに、これだけいい宗教なのに元気がないと感じる。ここまで助かってきている、助けて頂いているという、 「助かり」への自覚が足りないのではないか。
 布教と言うと難しく考えてしまうが、困っている人を見たら「助かるから、一緒に教会へ行こう」と教会へ誘うだけで、理屈も何もいらない。後は教会の先生が何とかしてくれる。私たちの役目はここまでで充分ですと話された。

 参加者からは、テレビでお話しされている方なので大変聞きやすく、元気の頂けるお話で、大変感動した。また宇都木さんのお話が聞きたいなどの声が多く寄せられた。



平成19年の講演会

 8月26日、大垣市民会館を会場に、嶋中まさ子師(滋賀県・愛知川教会)を講師に迎えて、「神様の微笑みを感じたい!」とのテーマで、岐阜県教会連合会との共催にて開催し、169名が受講した。

 講話では、病気がちであった母との関わりのなかで、神様の願いに生き、神様に喜んでいただけるように努めたことで、母の病気も徐々に回復していったことや、現在の在籍教会に移り、先代教会長の看病の際に、その経験が生きたこと。また、地域の生協などの活動に参加していくなかで、環境問題にも意識が向くようになり、女性が社会で生き生きと活躍している姿に出会い、衝撃と感動を覚えたこと。そして、現在、金光教レディースネットワーク活動を通じ、各地の方々と交流や研鑽をしていることなど、自らの体験談をまじえながら話が進められた。

 また、講師は、何事も、夫や妻、父や母といった立場からするよりも、できるものが、できるときに、できるようにさせていただくことが大切であること。そして、こんにち、人が信じられない世の中になったとよく言われるが、そういう時代だからこそ、教祖様の教えを、どこまで本気でいただき現すことができるかが問われていると語った。

 

 


平成18年の講演会

 2月19日(日)、静岡県富士市にあるラ・ホール富士を会場に「金光教講演会」が開催されました。

  講師に、サトウサンペイ氏をお招きし、「コンニチハ、神様」と題して講演が行われました。講演はユーモアを交えながら、自らの信仰体験をもとに、日常生活の中で神様を感じることの大切さをお話いただきました。

 また、講演の前には、静岡県東部連合会内の教会による、ハンドベルの演奏とコーラスが発表され、和やかに開催されました。参加者は114名でした。

 


平成17年の講演会

 5月28日(土)、アクトシティー浜松・コングレスセンター会議室において、講師に金光教美濃町教会長・高岡行雄師をお招きして「助かってこそ信心T −信心しておかげを受ける四つのカギ−」とのテーマで開催しました。

 講話では、信心を進めると、必ず身の回りに起きてくる事柄の中に、神様の働き、私たちにかける願いがわかるようになり、神様に喜ばれる生き方を求めるようになることを、様々な事例をもとに講話がされました。

  


平成16年の公開講演会

 本年は、6月5日、岐阜市民会館において、講師に金光図書館長、高橋行地郎師(香川・栗林)をお招きして「生まれ変わりの花が咲く」とのテーマで開催しました。

講話の概要
  明治6年の神前撤去の事跡についてふれ、時代の大きな変革・混乱の波は、教祖広前にもふりかかり、その救済営為を差し止められることになった。

 先行きが見えぬ中、教祖は、神からの「力落とさず休息いたせ」とのお知らせのままに、一人奥の間に身を置きながら、これまで十数年間に及ぶ救済営為が何であったのか、自らが信じてきた天地金乃神とはいかなる神なのかということを根本的に問い直した。

 そうした中から天地書附の内容が確認され、「天地金乃神お差し向け、酉の年生まれ、一歳」と『覚書』に記されるような、信心の大展開、生まれ変わりを果たしたことを指摘した。

 続いて、荻原須喜師ら直信と呼ばれる人々の信心はじめを紹介しながら、それぞれが教祖の教えにふれながら、それまでの生き方を反省し、「生まれ変わり」をはたしていく様子を語った。

 また、講話の後半からは、講師が数年前に大病を患った際に、先の教祖や直信たちの信心にならって、病気をありのまま受け止める中で、そこに現れる神様の絶妙なるお働きを感じつつ、病気を克服した自身の体験を語った。

 そして最後に、現在、講師自らが取り組んでいる、「一日百回ありがとう」といった喜び、感謝の心を育てる信心実践の内容が紹介された。

 講座終了後に実施した参加者アンケートからは、「信心の工夫、稽古、展開の様を目の当たりにさせていただいた」、「命の大切さ重みというものを改めて考えさせられた。毎日の喜びをさがして生活していきたい」といった感想が聞かれました。  また、明年は、静岡県西部を会場に開催を予定しています。

講師:高橋行地郎師

     (金光図書館長)

プロフィール

昭和15年 7月30日生まれ
昭和39年 早稲田大学法学部卒業
昭和42年 金光教教師補任
        金光教教学研究所第一部長
昭和58年 金光教学院学監
平成5年   金光図書館長

主な著書
 「生まれ変わり物語」